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口伝(1)オーディオ事始 [口伝・オーディオ萬之事 ~父から息子たちへ~]

  口伝  オーディオ  萬之事
( くでん オーディオ よろずのこと )


この日記は、父が息子に、オーディオについて語ったことを拾い集めたものです。

蛙の卵
社会人になった2人の息子たちが数年経った頃、オーディオに興味を持ち始めた。
理由は分からないが、身の回りのことや心身が落ち着いてきたのだろう。
元来音楽好きであり、まねごと程度に楽器もやるが、オーディオには全然関心がなかった。
最初の「兆候」は、STAXのコンデンサー型イヤースピーカーとそのドライバーユニットの購入であった。
STAXのヘッドフォンなど、なにか特別に思うところがなければ、普通は選択しないだろう。
一人は自分で購入したが、もう一人には休眠中の私のイヤースピーカーLambda Nova Signatureと、ドライバーユニットSRM-T1を「お下がり」した。


SRM-007IMG_0419(縮).jpg


<写真1:かえるが卵のときに購入したSTAXのイヤースピーカー+ドライバーユニット>
**写真は2台目のSRM-007tA+SR-007A。最初はSRM-006tAとSR-4040だったらしいが買い換えたという**





最良の選択STAXイヤースピーカー
彼らの「オーディオ事始」は、STAXのイヤースピーカーから入ることになった。
一人住まいの部屋で、あまり大きな音も出せないのだろう。
イヤースピーカーが出発点となるのはやむを得ないが、幸いにもオーディオ入門にSTAXのイヤースピーカーは大正解である。
コンデンサー型イヤースピーカーの再生音のクオリティーは、オーディオの一つの基準になるほど高く、若者の耳の訓練には最良の選択である。
この「最良の選択」を裏付ける逸話を、当ブログの「甦れ8X(第2話)SR-1との出会い」の「SR-1をめぐる高城重躬先生とSTAX社員との逸話」の段で紹介している。


SRM-T1_DSC_8927(縮).jpg


<写真2:「お下がり」したドライバーユニットSRM-T1>
**写真のイヤースピーカーはお下がりのLambda Nova Signatureではなく、自分が新たに購入したSR-507らしい**





音源はパソコンのみ
音源は一般の若者の常として、iTunesなどのパソコン内にリッピングしたCDライブラリーであり、CDプレーヤーはPCに搭載のDVDやブルーレイ・ドライブである。
もちろんPCの外部にDDコンバーター(USBと外部のDAコンバーターとのインターフェース)や、DAコンバーターが用意されているわけではなく、PCのアナログ・オーディオ出力をイヤースピーカーのドライバーにつないで聴いていた。


目覚め
息子か実家に戻ったある日、アナログレコードを聴いてみたいと言い出した。
彼の行きつけの中古CDショップに、中古アナログレコードも置いてあり、興味が湧いたらしい。
何枚かを聴かせた。
また1961年録音、アンセルメ、スイスロマンドの伝説の名盤の復刻盤「三角帽子」のLPレコードとCDを比較して聴かせたりもした。
当ブログ「いとし子(7)美麗!ガラスのターンテーブルMarantz Tt1000」の写真2のLPとCDである(Esotericの名盤復刻シリーズ)。
聴いたあとの第一声は、「針のノイズはあるがこんなにいい音とは思わなかった」であった。
まあ、そう思うのが普通だろう。
原理的に考えても、ビニールの細溝を針先で引っ掻くだけで、なぜこれほど心に迫る感動的な音が出るのか、私も本当に不思議に思う。

息子は社会人になるまで親元にいた。生まれた時から親父のオーディオ装置から出る音を子守唄がわりに育った。
しかし私のオーディオ装置の再生音に、リスナーとして正対するのは初めてのことである。

そしてこの時、親父が構築したシステムと、その最終出口であるスピーカー「ALTEC MODEL 19」が再現する音楽に、初めて対峙したわけである(この頃、STAX ELS-8Xはまだ修復されていなかった)。
口には出さなかったが、正面から向き合って聴いた真に迫る音の場に、驚嘆したに違いない。
かえるの卵に命が宿ったのは、おそらくこの時ではないかと思う。


初めてのレコードプレーヤー
アナログレコードを聴いた数日後、「レコードプレーヤを買おうと思っていろいろ調べて店にも行ったが何がいいか」と聞いてきた。
調べるのも面倒なので、私が昔に使っていた休眠中のKENWOOD KP-9010を、ここでもまた「お下がり」した。
そのKP-9010を何年もの冬眠から目覚めさせ、血のめぐりを良くする体操をさせるなど、ひととおりの整備をしてみた。
とりあえずどこにも問題はなさそうである。
カートリッジは、針を飛ばしてもあまり惜しくはない適当なMC型をつけておいた。


完9010IMG_0377(縮ト).jpg


<写真3:これも「お下がり」のKENWOOD KP-9010>
**レコード音楽を楽しむ実用機として必要十分な力量を持っている**






もう一人には、私が日常、オンラインで使っていた「気分転換用・お昼ね用」のスケルトンKP-9010を「お下がり」した。
KP-9010は、演奏が終わると自動的にアームリフトする機能が付いているのでありがたい。
眠ってしまいそうなときは、これに限る。

KP-9010のスケルトン状態での使用は、本来キャビネットやコンソールに収めて使うものを、裸で使うのとは意味が全然違う。
KP-9010は本来、この状態で音響的には成立している構造のレコードプレーヤーである。


9010斜めDSC_8897(縮).jpg
<写真4:これも「お下がり」のスケルトンKENWOOD KP-9010>
**遊び心で、もう一台のKP-9010のキャビネットを取り外した。このキャビネットは、一般的形態のターンテーブルを置く「基台」ではなく、スカートのような構造のカバーにすぎない。マイクロ精機のDDX-1000のように、本体と基台が一体構造になっているので、音響的にはキャビネットの装着はマイナス要因になるだろう**



9010真上DSC_8900(縮).jpg


<写真5:真上から>
**ターンテーブルのモーター部を、X字形のアルミダイキャストのフレームが支えている**






初めてのカートリッジDL-103
彼はつぎの日曜日、DENON DL-103を買った足でKP-9010を引き取りにきた。
カートリッジは付けておくが、買いたいのならまず「DENON DL-103」、と言っておいたのだが、私が話したDL-103の能書きが効き過ぎたらしい。
その能書きとは。
DL-103がすばらしいカートリッジであることを実感できるオーディオシステムは相当にレベルが高く、そう感じるリスナーの観賞力も相当に高い。
父も長年、DL-103は「太目でしっかり」だけの魅力のない音と思っていたが、それは自分のオーディオシステムの能力不足とDL-103との整合不足、それに耳の訓練不足のせいだった。
といったような話である。



さてそろそろ、オーディオの「萬之事」(よろずのこと)を教えなければならない時がきたようだ。



口伝
口伝(くでん)とは師匠から弟子へ、先生から生徒に、口伝えで(口頭で)何かを教え伝えることである。
秘匿性が高く、情報漏洩のセキュリティー上有効な伝達法である。
昔の剣術の達人であれば「奥義」、刀工であれば「秘伝」といったものを継承するための手段であった。
ただしここでの「口伝」は、オーディオ道楽のおやじが、入門息子に向かって薀蓄(うんちく)を傾けるだけの他愛もないことで、「秘伝」などあるはずもない。


当テーマ「口伝オーディオ萬之事」は、父が息子に話す、というシチュエーションのもとで、それを元に記述しています。
ですから彼らを「お前たち」と呼んだり、ていねい言葉を使わなかったり、といった個所が出てくるかもしれませんが容赦ください。


レコードプレーヤーのイロハ以前の大事なこと
おそらく初体験のレコードプレーヤー。
オーディオコンポーネントの中で、「メカ調整の微妙度」や「慎重な操作の必要度」など、要するに「面倒くさい度」が最上位にランクされるであろうレコードプレーヤーを使うには、まず必要最低限のことを教えねばならない。
が、その前に、「オーディオ」というものの大前提として、これだけは頭に入れておく必要がある。
まず「オーディオの特殊性」についての話と、オーディオに向き合うための「心構え」や「考え方の基本」について話しておこう。


オーディオ道楽は一生もの
音楽が好きでオーディオにも興味を持った。
そしていい音で音楽を聴くことに喜びを感じるのであれば、そのような感性を持ち合わせていることに感謝すべきである。
そういった音楽属性、オーディオ属性が自分にあることをありがたいと思って大切にした方がいい。
山あり谷ありの長い人生には、心境や境遇の変化などにより、ついたり離れたりすることはあっても、「音楽オーディオ」は生涯の趣味となり得る。
若い時も歳をとっても、それぞれの楽しみ方がある。
歳をとれば、耳の物理的な特性は無残なほどに衰えていくが、音楽オーディオに対する耳の鑑賞力は深くなる。
そこが面白い。
それがこの趣味の大きな特長であり、汲めども尽きない妙味が湧き出る泉を得たようなものだ。


オーディオは感性・感受性に依存する
また「オーディオ」とは、人の感性・感受性に依存し、おそらく味覚や嗅覚以上の微妙な感覚を相手にする分野である。
「美的感覚」や「価値観」が人によって異なると同様に、音を聞き分ける感覚も能力も、好き・嫌い、いい・悪いも、人によっておそろしく異なる。
また一言で「オーディオマニア」と言っても、その個々の感覚は同様におそろしく異なり、十把一絡げにすることはできない。
要するにオーディオは、高度なレベルにおいては、もはや自分の感性だけが頼りの世界となり、「これが分かるのは自分だけ」ということにもなる。
これを「自己満足」と言っても構わないが、そのように単純化できるほど能天気な世界でもない。


「いい音」の普遍的部分は9割超か
要するにオーディオの「音」に対する感覚は「十人十色」ということだ。
念のために言っておくが、オーディオ的に「いい音」については、「十人十色」で済ませられるほどいい加減なものではない。
古今東西、あまたの先達が積み重ねた膨大な知識と経験による、普遍的な「いい音」の基準は確立している(誰もそんなことを主張している人はいないが、私の知識と経験上、そう思う)。
試聴対象の再生音のおそらく9割超が普遍的基準で評価できる部分であり、その残りが人の個々の感覚の違いによって評価が分かれる部分だろう。
その普遍的な部分を「俺はこの音がいいんだ」と言っても、それは独りよがりか、耳の訓練不足というものである(趣味の世界だから、それはそれで一向にかまわないが)。


オーディオ諸説の取捨選択
さてまずは「趣味のオーディオ」を幾重にも取り囲むような「諸説」の話から始めよう。
ネット時代になって、オーディオに関する情報は激増した。
そのこと自体はたいへん喜ばしいことであるが、その反面、入門者にとっては信頼できる情報と、そうではない風説のようなものとの取捨選択が困難になった。
オーディオは、人の感覚の大変微妙な領域を舞台に繰り広げられる芸術のようなものであるため、様々な人が様々な説を唱える。
あれはいい・これは悪い、あれはこうするといい・そうしてはいけない。
こういった話を鵜呑みにしてはいけない。


デジタル分野にも風説はある
アナログ分野に様々な風説があることは納得できる。
ところがデジタルにもそれがある。
一例であるが、たとえばルビジウム原子発振器(RbOsc)をデジタルオーディオ機器(CDプレーヤーやDA・ADコンバーターなど)のマスタークロックに使用したら音質が向上した、という記事には、その一部に誤解があるものが見受けられる。


ルビジウム原子発振器(RbOsc)もジッターには無力
RbOscの周波数精度・安定度は、短期的、中期的に10のマイナス10乗から11乗ほどである。
水晶発振器の精度や安定度は作りによってピン・キリであるが、10のマイナス6乗から、最高はマイナス9乗ほどにもなる。
家電品のデジタルオーディオなどは、一般的に精度マイナス6乗ほどの簡単な回路の部品が、基板にちょこんと乗っているだけだろう。

さてRbOscに内蔵されている原振(おおもとの発振器)も「水晶発振器」であることを知っておかねばならない。
その水晶発振器の発振周波数を、Rb原子のエネルギーバンドにおける超微細構造間の遷移の、光-マイクロ波二重共鳴という現象を利用して制御している。
簡単に言えば、水晶発振器の発振周波数を、Rb原子(容器に閉じ込めたRbガス)の、ある現象を利用して自動制御するもの、と考えればいい。
当然、自動制御のフィードバックループが構成されているわけであり、そのループにおいて、デジタルオーディオで一番の問題とされる「ジッター」などは、応答時間的に自動制御には引っかからない。
メガHz程度の周波数における1サイクル単位のタイミングや、ミリ秒以下のスピードに、フィードバックループの自動制御が対応できるわけはない。
つまり、デジタルオーディオで一番の問題とされている、いわゆる「ジッター」には、安定度10のマイナス10乗以上のルビジウム原子発振器も「無力」なのである。(昨今、研究が進められているレーザー励起型RbOscの場合、ジッターも制御できるのかどうか、期待しているが・・)

ジッターにはルビジウムの法力も無力とはいえ、RbOsc内臓の水晶発振器は、恒温槽を使うなど、それなりの精度が出るように設計されており、家電デジタル機器の基板に乗っているような安易な水晶発振回路とは作りが違う。
少なくとも、1~2桁以上高い精度のものが使われている。
このことから、私が思うには、RbOscをデジタルオーディオのマスタークロックに使った場合、もしかしたら、ルビジウムの制御を切り離しても(原振の水晶発振器単独で使っても)、ある程度のいい結果が出るような気がする。
とはいえRbOscは、たとえ原振の水晶発振器に、フラッターやワウ的な周期変動があるとしても、それらを精度10のマイナス10乗以上で押さえ込む(そのようなフラッター的な変動などを許容した水晶発振器が搭載されていることなどあり得ないが)。
手軽に利用できるようになった昨今、KHz、MHzオーダーのジッターには効きめがなくても、RbOscを利用するに越したことはない。


ルビジウムより水晶?
今や手軽にRbOscを利用できる時代になったので、それを導入しておけば、とりあえず一安心である。
しかし繰り返しになるが、ジッターにはルビジウムの法力も無力である。
このことから、デジタルオーディオのマスタークロックに「低ジッター性能」を重視した発振器を導入したいのであれば、まず、徹底したジッター対策と、超短期安定度対策を行った水晶発振器を実現することが先決ではないだろうか。
おそらく現状のRbOscよりも、その方が音質的には有効だと思う。
その上で必要があれば、RbOscを利用して、その水晶発振器の短中期安定度を制御すればよい。


RbOscの思い出
RbOscについては、いろいろな思い出がある。
出会いは会社の業務で、1972年に札幌で開催された冬季オリンピックにおいて使用したのが最初である。
米国Tracor社のMODEL 304-SCという製品で、非常に高価であった。
現場からのTV中継の際、現場-局内のカラーサブキャリア(3.57MHz)の位相同期をとるために、現場と局内の2台のRbOscを使って実現する試みであった。
日本初である。
その後、五輪が終わって用済みになったRbOscは、そのまま捨て置かれていたが、あまりに不憫なので、局内親時計装置の原振に利用した。
分周回路とRb-Xtalの自動切換え回路を手作りし、民間では日本初(たぶん)のRbOsc時計となった。
そのノウハウ(簡単なことであるが)を精工舎に提供し、その後、同社のほとんどの親時計装置がRbOsc化されることになった。
また、郵政省電波研究所(当時)の小林三郎氏の要請を受け、「TV信号による時刻および周波数の精密同期」(「精密校正」と解釈すればよい)を実現するために、いろいろとお手伝いをさせていただいたり、教えてもらったりした。
いま思えば、RbOsc普及前夜の、国としての地ならし的な仕事であったのだろう。
あれから40年、RbOscが2桁万円になるなど、まったく想像もできなかった時代のことである。


「音のいいケーブル」?
さて「話を鵜呑みにしてはいけない」例をもう一つ。
たとえば、「CD-プリアンプ間のピンケーブルを、Aというケーブルに替えたら、CDにこんな音まで入っていたのかと驚くほど解像度が上がった」と喜ぶ人がいたとしよう。
この話の大前提として、元のケーブルの品質は粗悪品ではなく、一流電線メーカーの、ごく一般的な標準品クラスかそれ以上とする。
この話はつぎのように言い替えなければならない。
「その人のシステム環境において、CD-プリアンプ間のピンケーブルを、Aというケーブルに替えたら、その人は驚くほど解像度が上がったと感じた」である。
このことから、「Aケーブルは音がいい」などと、Aケーブル固有の話であると単純に解釈してはいけない。
つまり、自分のシステムに使っても音がよくなる、と思ってはいけない。
自分のシステムに使った場合、たまたまいろいろな条件(システム環境)が合えばプラス面が現れる可能性もあるが、逆に合わなければマイナス面が出るかもしれない。
ケーブルの音質問題は、「相性」の問題である。

また、「解像度が上がった」との感想は、その人の感覚であり、別の人の耳では、「解像度が上がったのではなく、音のバランスが少し変わったようで、高域が少しきつくなった感じがする」となるかもしれない。
いずれも先の「9割/1割」論の1割に当たる微妙な領域の話である。


オーディオシステムにおける組み合わせの「相性」とは
オーディオの話題には、「相性」という言葉がよく使われる。
「相性」などと曖昧で正体が分からないようなものを、由緒正しいエレキとメカの理論の上に成り立っているオーディオ機器の組み合わせに持ち込んでは困る・・、とは実は言えない。
「相性」は、エレキの理論上からも明確に存在する。
「相性」の原因の一つは、オーディオシステムの入り口から出口までの、それぞれのコンポーネント間のインターフェースの部分に発生する。
[CDプレーヤー]-①-[プリアンプ]-②-[メインアンプ]-③-[スピーカー]。
この4つのコンポーネントで構成されるオーディオシステムの場合、①②③の3つのケーブル接続部分に、それぞれ固有のインターフェースの問題がある。
簡単な一例を図1に書いてみた。
先の、ケーブルをAケーブルに取り替えた話の図である。


信号伝送の図B5A3jpeg.jpg

<図1:CDプレーヤーとプリアンプ間のピンケーブル接続に関係する諸々のパラメーター>
**それぞれ、カタログの仕様に出てくる程度の代表的な諸元をあげてみた**






ケーブル問題は「信号伝送」と捉える必要あり
CDプレーヤーとプリアンプ間をピンケーブルで接続するということは、すなわち、CDプレーヤーの出力をプリアンプに伝送する「信号伝送」として考える必要がある。
信号伝送は、送信側回路の諸状況、ケーブルの諸状況、受信側回路の諸状況などが複雑に絡み合い、影響し合って信号の伝送が行われる。
「諸状況」とは、図1に示したような各種のパラメーターである。
図に記したものは、いわば「カタログ・パラメーター」的な代表的なものであるが、そのほかにも、たくさんの「パラメーター的な要素」があると思われる。
それらが「複雑に絡み合い、影響し合った」結果、音響的にたまたま具合がよかったり、悪かったりするわけである。
ある所で大変いい結果が出たケーブルが、別の所で同じ結果が出るとは限らないことが、図1の各種のパラメーターや、その他の隠れたパラメーター的要素の存在がある、ということから察することができるだろう。

なお、エレキの理論から、代表的なつぎの2つが、信号伝送における「格言」として昔から言われている。
・ケーブルは可能なかぎり低抵抗、低静電容量(これは当然)
・ローインピーダンス出し、ハイインピーダンス受け


ライン出力でもヘッドフォンが鳴る?
「インピーダンス」とは何か、については、ちょっと説明が必要かもしれない。
たとえば、CDプレーヤーのライン出力が、「出力電圧2V」、「出力インピーダンス5Ω」の場合と、「出力電圧2V」、「出力インピーダンス50KΩ」の場合とでは、ライン出力から取り出せるパワー(エネルギー)がまるで違う。
「出力電圧2V」、「出力インピーダンス5Ω」のライン出力を、一般的なヘッドフォン(そのインピーダンスを30Ωとしよう)につなげば音がガンガン鳴る。
しかし「出力インピーダンス50KΩ」のライン出力につないだ場合は音が出ない(出ても微か)。

①出力インピーダンス5Ω   → 入力インピーダンス30Ω
②出力インピーダンス50KΩ → 入力インピーダンス30Ω

ライン出力にヘッドフォンをつなぐなど、普通はあり得ない極端な例ではあるが、①では良好な信号伝送が可能であり、②では不可能であることが分かる。
これが出力インピーダンスと入力インピーダンスの関係の一つの例である。
また、電気的な外来ノイズをケーブルが拾う度合いも、インピーダンスが低いほど小さく、高いほど大きい。
以上が格言「ローインピーダンス出し、ハイインピーダンス受け」の一つの説明である。
ちなみに、私のプリアンプC-280のライン出力のインピーダンスは、なんと「1Ω」である。


各コンポーネントの選択
意味あり一点豪華主義
さて、これから自分のオーディオシステムを徐々に構築していくことになるが、何を、どのような基準で選べばよいかが分からないだろう。
そこで若者の限られた財政状況のなか、音響的に最大のコスト/パフォーマンスを求めるのであれば、まず思いつくのは評価が定まっている往年の名機の入手である。
最上クラスのものをgetしておけば、後々の迷いがなく、そこは不動のポジションとなる。
それが長い目でみれば、結局は安い買い物になる。
「音響的にも製品的にも、これ以上のものは別次元の話」との諦めもつく。
日本のオーディオ産業が輝いていた時代、特にその後半に作られた、各メーカーを代表するような名機は、もう二度と作られることはないだろう。
富裕層をターゲットとした、価格が一桁違う超高級機は、昔も今も、また別の話である。
だから往年の名機は、今も今後も、たいへん貴重な存在である。
新しい商品の購買に結びつかない、日本の経済発展に寄与しない話で、まことに申し訳ない。


C-280Vいま生産すれば価格は?
Accuphaseのプリアンプに、「C-280V」という往年の名機がある。
1990年の年末に発売され、価格は800,000だったそうである。
私は今現在、その一代前のC-280を使っている。
過不足なし、とは言わないが、要は使いこなしかた次第である。
なによりも、メインボリュームの性能と回す感触のよさは唯一無二、比肩するものなし、と思っている。
さて、C-280Vと同等のものを(音も作りのよさも)、今、オーディオメーカーが一般市場流通の高級機として生産するとしたら、その価格はどうなるだろう。
私の推測では、おそらく当時の2倍では収まらず、最低でも3倍になるのではないだろうか。
事前の市場調査の購買予測から、商品化には至らない可能性も高い。


「一生もの」を中古でget
その後彼らはこのC-280Vをgetすることになるが、これをシステムのセンターに据えれば、後々まで長く、全幅の信頼を寄せる「不動のセンター」として愛用することができるだろう。

そして数年後、「卵」から「おたまじゃくし」の期間を経て、「子がえる」になったかえるの子は、口伝の教示に沿うようなコンポーネントをgetしていった。
その結果、現在はこのような状況になっている。
すべては中古品であるが、幸い、怪しそうなコンポーネントはないようだ。
中古品にはリスクがある。
それを承知の上で、「目利き」の能力も必要であり、事前のチェックも十分しておかねばならない。
入門者にはとても難しいところであり、経験者の助言・助力が必要だろう。


健治SP-10IMG_0423(ト縮).jpg
<写真6:KP-9010に慣れた後にgetしたTechnicsのターンテーブル>
**これも親父に似ているが、総合的に見て、コスト/パフォーマンス上、これ以上のものを探し出すのはむつかしい。彼もKP-9010は、居眠り対策に欠かせないらしく、反対側に置いてあるとのこと**




健治システムIMG_0465(ト縮).jpg

<写真7:かえるの子が数年間で構築した主要システム>
**同じ歳頃の私の時代とは隔世の感がある。どれも古い中古であるが、第一級の名機であり、末永い使用に耐えるだろう。またデジタル機器を除けば、買い換える必要性も起こらないだろう**





スピーカーは父と同じ「実証済」のALTEC MODEL19である。
入手した価格で、これ以上のスピーカーは簡単には見つけられないため、「まねしてる」と思われてもやむを得ない。
REVOX B77は4トラックであり、私の貸し出しである。


デジタル機器はまだまだ発展途上
だいたい一通り揃ったようであるが、「一生もの」を選択できないコンポーネントがあることに注意しておく必要がある。
デジタル機器である。
デジタル処理のデバイスも、それらのデバイスの応用技術も、今後の進化は計り知れない。
サンプリング周波数44.1KHz、量子化ビット数16bitの普通のCDの再生装置でさえ油断はできない。
CDが市場に登場したのは1982年である。
30年以上も経っているが、それを再生するための手法は、新しいアプローチがまだまだ残されている。
ということから、「デジタル機器は発展途上」との認識のもと、コンポーネントの選択をしなければならない。


さてさて、オーディオの「よろずの事」を口伝しようにも、あまりにも範囲が広く、奥も深いため、途方にくれる思いである。
とても「体系的に」など、きちんと順序だてた話はできないが、思いつくまま、ぼつぼつとやっていきたい。


えっ、ケーブルの接続はバランスかアンバランスかって?
そうかそうか、C-280Vはバランス入出力が充実してるからね。
この問題は簡単明瞭だけど、今日の最後の話として、はっきりさせておこう。

バランス接続できる個所はバランス接続。
バランス接続できない個所はアンバランス接続。

このことは当たり前の話であり、オーディオ信号の「信号伝送」は、バランス伝送が基本中の基本。
RCAタイプのピンジャックなどのアンバランス入出力は、短い距離の伝送など、バランス伝送でなくても、あまり問題が発生しない場合の「簡易伝送法」である。
だから状況に応じて、よかれと思うやり方で接続すればいい。

えっ、なぜバランス伝送が基本中の基本なのか、って?
これも理屈は簡単だけれど、続きはまた、ということにして、なにか一曲聴かせてほしいな。

(口伝(1)オーディオ事始 おわり)

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コメント 1

かつぽん

はじめまして。
Kp-9010で検索してたどり着きました。
さてKPのボディの件ですが、スケルトンにした方がよくなるのでしょうか?
重いとは言えないボディがますます軽くなって、音が軽くなってしまいませんか?
by かつぽん (2015-06-21 07:42) 

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