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エッセイ(2)エルビンの天性が骨を叩くと [オーディオエッセイ]

人の耳は致命的低感度
オーディオ装置で音楽を聴く。
ただ一人、好きな曲を、十分な音量の、よい音で聴く気持ちのよさ。
この嬉しさは、なにか美味しいものをたくさん食べたときの感覚に少し似ている。
「音楽」と「食」とは、基本的な生理現象の何かが繋がっているのではないだろうか。
人はなぜ音楽を聴きたいのか。
人と音楽との結びつきが、古今東西、社会や文化の違いを越えて普遍的なのはなぜなのか。
人の聴力は、感度が犬猫鳥などに比べて比較にならないほど低い。
何代にもわたって人に飼い馴らされたハムスターでさえ恐るべき感度を持っている。
人の耳は野生の動物であれば致命的な低感度である。
その反面、「音楽」を聞くと気持ちに大きな変化が表れる生理的副作用のようなものがある。

OUTBACK4トラテープ(縮小)DSC_7352.jpg


<JOE FARRELL OUTBACKの4トラック・テープ>
**ELVIN JONES、CHICK COREA、BUSTER WILLIAMS、AIRTO MOREIRA**





エルビン・ジョーンズのご先祖
先史の昔、そのある日、原始人がたまたま白く乾いた動物の太い骨を拾って木の枝で叩いたとしよう。
カンカンと妙に心地よい音がする。
その男がエルビン・ジョーンズの1000代ほど前のご先祖だったらどうしただろう。
叩く力の強弱、叩く場所、叩くタイミングなどをあれこれやって遊んでいる。
そうこうしているうちに、気持ちが高揚したり沈んだりするような、今まで経験したことがない面白さがあることに気付くに違いない。
乾いた骨を拾った男は、並みの者ではない天性のリズム感と音楽性を持っていた。
彼が叩くとその「不思議な音」に惹かれた仲間が集まってくる。
男も女も、大人も子供も騒ぎ出す。
囃し立てる。
踊りだす。
人類の遠い祖先は、このように音楽を獲得していったのではなかったか。
坂田明のご先祖は葦の茎を吹き鳴らし、薩摩琵琶の中村鶴城のご先祖は狩猟の弓の弦をベンベンやっていたかもしれない。
千人に一人でもいい。
天性のリズム感と音楽性を具えた者が音を出せば、そこに音楽が生まれる。
それに興味をもった者が、見よう見まねで同じことをやりだす。
人は音楽を楽しむ能力を、遥か先史時代から持っていたに違いない。
そう思う。

言語
原始的な段階であれ、言語と呼べるものが存在したとしよう。
言語を獲得した人は相当に微妙な音声の響きの違いを聞き分けていたことになる。
私はオーディオ装置の試聴に、まずはボーカルものを使う。
人の声が、微妙な部分を聞き分けるための、もっとも高感度の試料になると思うからである。
逆にいえば、言語の獲得は、微妙な音声の響きの違いを聞き分ける能力がなければできないことになる。
このことから「音楽」は、遅くとも原始言語の始まりとともに存在したと推測したい

もう一つの要素である「和声」。
和声(ハーモニー)は、砂漠の民が発見したと、昔、老先生から教わったことがある。
ハーモニーをつけると、砂上遠くまでよく到達することを経験から知り、それが音楽に取り入れられていったという。

オーディオの基本は「音」
やはりオーディオの基本は、「音」そのものの再生にあるように思う。
「音楽性」を云々するのは当然であるが、まず、あらゆる音が、それらしい「音」で再生できなければ、音響のあらゆる要素を含む音楽など、再現できるわけはない。

在りし日の高城重躬先生が、蟋蟀(こおろぎ)の音(ね)を録音し、それを再生しながらご自身のシステムを追及されたという話を思い出す。
それが音楽再生へのアプローチの近道であり関門なのでしょう。
そう思います。

(エッセイ(2)「エルビンの天性が骨を叩くと」おわり)

エッセイ(1)我ら音楽再生リプロデューサー [オーディオエッセイ]

リプロ
蓄音機のサウンドボックス。
レコードの溝を針でこすって音を拾う部分。
これ、エジソンが発明した円筒型蓄音機の時代から「リプロデューサー」と呼ばれている。
「音を再び甦らせるもの」。
リプロデューサー。
これだけで、小さな我が家に響き渡るほど大きな音が出る。
エレキの力を使わない「100%純粋、ダイレクト再生ピックアップ」である。

リプロ(縮小)DSC_7320.jpg
<リプロデューサー(サウンドボックス)>
**His Master’s Voiceのニッパー君(フォックステリアの雄らしい)の商標でお馴染みのVICTOR TALKING MACHINES社製リプロデューサ(サウンドボックス)。振動板はマイカ(雲母)。この写真では竹針が付けてある。針には「鉄針」、「ソーン針」(サボテンの棘などで作ったもの)など、他にもいろいろな素材のものがある。このリプロデューサ、歳はたぶん90歳前後だと思われる**


音の缶詰
音楽の場。
その場の空気振動を「箱」に閉じ込め大量に複製し、人々に販(ひさ)ぐビジネスあり。
レコード会社、レコードショップ、ダウンロードサイト。

「箱」すなわち録音メディアの形態には、絶滅種、絶滅危惧種を含めて、SPレコード、LPレコード、カセットテープ、8トラックカートリッジ、4トラックオープンリールなどのアナログ族。
CD、MD、DAT、HD、DL(ダウンロード)などのデジタル族がある。
「箱」を開けて音を開放すると、元の音楽演奏の場が再現される。
箱を開けて、ただ音を出すだけなら簡単。
しかし臨場感に満ち、躍動感に溢れ、そこで演(や)ってる感にハッとし、知らずのうちに音楽に引き込まれてしまうような場を再現するのは容易ではない。

レコード(記録メディア全体の総称)から、生々しい音楽の再現を追求する道楽者が、「音楽好きオーディオファイル」だと思う。
昨今は、音楽、劇・映画・放送・出版などの制作者、統括責任者を「プロデューサー」と称している。
名刺の肩書きになるように、もう少し格好をつければ、その統括責任者、つまりレコードから、音楽の「活きた音」を再生するための「プロデューサ」といえるだろう。
ちょっとややこしいが、「理想的なリプロデューサ」の実現を目指す「プロデューサ」。
私もその端くれの一人だろうか。

オーディオとは?
さてオーディオファイル諸兄の書棚には、様々な形の「箱」がコレクションされていると思われる。
ご年配の方ならCDよりもLPレコードがたくさん納まっているかもしれない。
オープンリール・デッキをお持ちで、いまも4トラックテープが大事に保管されているなど、うれしい光景である。
昨今、カセットテープやMD、DATテープなどが絶滅危惧種になる一方、メインライブラリはパソコンのハードディスクの中、という方も多いだろう。

音楽の場の空気振動をどのような形の箱に閉じ込めるか、その形態は技術の進化とともに移り変わってきた。
「箱」はすなわち「媒体(メディア)」である。
そのメディアに記録された音を空間に開放することが音楽再生である。
それを実現し楽しむ行為が「オーディオ」というものだろう。
そのための機械仕掛けが「オーディオ装置」に他ならない。

「箱」のフォーマットを定めるに当たっては、それぞれの時代の最高の智恵が集結されたはずである。
そのいずれの「箱」も、それぞれの時代相応に、かなりの真迫度で音楽の場の空気振動が収容されていると思う。

100年前100年後
エジソンの円筒型蓄音機や、ベルリーナの円盤型蓄音機が実用されて、すでに百数十年が経っている。
現代のリプロデューサ、つまり現代のオーディオ装置を手にしている私が、遠い過去のマイカ振動板のリプロデューサを見て感慨にひたる、とする。
今から100年後。
遥か未来のオーディオファイルの誰かが、私のオーディオ装置を見たとする。
彼はどう思うだろうか。
今から100年前と100年後。
音楽を録音・再生する仕掛けの「進歩の歩幅」は果たしてどうなるか。

私の予想ですか。
そうですねー。
私の感覚では、録音・再生の手段には、かなりの進化があると思いますが、出てくる音響には「時代を画する」ほどの飛躍はないのでは、と、ちょっと悲観してます。
どうなんでしょう?
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