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最終アンプ(4)全回路図と801Aシングルアンプ [原器を目指した「最終アンプ」]

私の「最終アンプ」が実現したのは、円通寺坂の製作工房があってこそであり、またそれ以前の話として、この工房とめぐり合う縁があってこそだと思っています。
あるきっかけで「縁」が生じ、その縁が「種」を作りました。
「最終アンプ」はその「種」が成長したものです。

今日の日記は、「縁」と「種」の種明かしをしたいと思います。
そして、その「種」から生まれた「最終アンプ」。
その全回路図を「開示」します。
「開示」などと勿体ぶって言っていますが、ご覧のとおり、管球アンプ愛好家諸兄にとっては、「見てもしょうがない、当たり前の基本回路」ではないかと思います。
本当に申し訳ないほど「なんにも無い」回路です。
「どれ一つを外しても、増幅回路が成り立たないほど簡素化・・」の基本方針を証明するような回路ですが、ためしにちょっと眺めてみてください。

この「なんにもない」回路。
でもその結果は、メインアンプに関するかぎり、どこで何を見ても、何を聞いても20年。
周辺機器は替わっても、ブレず、よろめかず、浮気せず。
「その20年」が、本機の「音」を物語っている、と自分一人で思っています。



「縁」~円通寺坂の製作工房との出会い~
工房については「最終アンプ(1)」の日記に綴ったが、工房との出会いの「縁」は、本機誕生(1992年暮れ)の数年前に遡る。
それは、ふと目にとまったMJ誌の広告であった。
工房の広告ではない。
「真空管アンプシャーシーの限定製作」をメインとした「ミューズ工芸」という会社の広告。
その小さなモノクロ写真に目が釘付けになった。

ミューズ広告(正立jpeg縮ト).jpg
<写真1:円通寺坂工房と出会うきっかけとなった「MJ無線と実験」誌に載っていたミューズ工芸の広告の一部>
**ご注意:この広告は20数年前のものであり、現在の諸状況は何も分かりません。この写真は、たまたま手元にあった1990年2月号に掲載されていたもの(「縁」のものと写真は同じ)**


とても優美でコンパクトな形のシャーシーに、その製作例として、たぶんSiemens社の出力管Ed(孤高の銘球)と、整流管Z2c(あたりか)が挿し込まれている。
優美なシャーシーの上に、飛び切り美しいSiemensのドーム球。
私はこの小さなモノクロ写真の一撃で、ほとんど即死状態に陥った。

即刻、電話を入れた。
若そうな声の社長さんが出られて、そのシャーシーは、円通寺坂の工房に置かせてもらっている、とのこと。
私の住所から、ゲットする最短コースは、工房に直接取りに行くのがベスト、といった話であった。
工房の電話番号を聞き、その数日後、私は初めて円通寺坂の工房を訪れたのであった。

小さなモノクロの広告写真。
この写真があの時、私の琴線に触れなかったら、また、円通寺坂工房ではなく他で購入していたら、「最終アンプ」が作られることはまずなかった、と断言できそうに思う。

801Aアンプ全景DSC_7771(トT縮).jpg

<写真2:円通寺坂の工房で購入したミューズ工芸のシャーシーに組んだ801Aシングルアンプ>
**シャーシーの前側面を横に走る「合わせ目」のラインがいい。また電源SWの左のライン上にある赤のLEDがさらにいい!。このアンプ、私のだいじな「いとし子」です**





「種」~「最終アンプ」の芽生え~
この写真の801Aシングルアンプは、シャーシーを受け取りに工房を訪れた際に提案された回路で組んだ。
第1話に登場する工房のKさんと(その時が初対面であるが)いろいろ話をする中で、「こんなものを組めばいいんじゃないか」と勧められ、その場で決めた。
その時、その場でKさんがチャッチャとフリーハンドで描いてくれた回路図は、今も大事にファイルしてある。
この写真では、初段がRCA56916SL7と同等管)のSRPP、CR結合を介して出力はRCAの801、整流管はRCAの83が使われている。

801AアップDSC_7785(ト).jpg



<写真2:増幅管のクローズアップ>
**801には「A」が付いてない。タイトベースに丸印RCAのロゴと、Radiotronの焼きこみ。初期の時代の801である。この801のプレートは板ではなくカーボングラファイト。これ、工房の倉庫部屋に転がっていたので、ついでに買ってきた思い出の球。RCA5691は、わりあい最近製造のもの**






写真1の801Aシングルアンプは、「最終アンプ」を発想する「素」になった特別な存在である。
「最終アンプ」の増幅部は、基本的な考え方として、この801Aシングルアンプで、出力管211/VT-4Cをドライブするという形を取っている。
このアンプで、801A10などといった、素性も特性も、まさに「211ジュニア」といえる「10系」古典傑作球を、散々いじり回した。
その経験から、とても貴重な知識とノウハウを学ぶことができたと思っている。

さて、「最終アンプ」が生まれるためには「縁」があって、「種」もあったという「種明かし」をした。
「最終アンプ」の最も初期段階の発想は、「つまりは写真2の801Aアンプの出力で、211をドライブすればいいじゃないか」程度のものであったと思う。
この単純な発想が、時々工房を訪れて、そこにある製作中のものを見て、またいろいろな話を聞くうちに、段々と膨らんでいった。

円通寺坂工房への感謝
写真2のアンプ程度であれば、自分でもけっこう上手に作ることができる、と思っている。
しかし「最終アンプ」は、自分で作るのはまったく無理である。
プロ用・工業用機器の製作マインドと、ノウハウおよび経験がなければ作ることはできない。
似たものは出来ても、本物は作れない。
私が幸運であったのは、当時その工房内で、本機の構想と似たようなパワーアンプを開発する計画があったことである。
そのための試作機の意味を含めて、私の厄介な妄想の実現を引き受けることになったのだと思う。
実費に近い額しか請求されなかったし、そもそも、こんなものを真に受けてくれる工房など他にないだろう。
茶飲み話から教わったこともたくさんあり、円通寺坂の工房には、本当に感謝している。


「最終アンプ」全回路図
手書きの回路図であり、一部不鮮明な部分もあるが、本機はおおよそ、このような回路である。
増幅部の構成は、全段トランス結合、セルフバイアス方式による基本中の基本、教科書どおりである。
電源部の構成も、水銀蒸気整流管を使用する場合の、チョークインプト方式の基本中の基本、これも教科書どおりの優等生である。

全景トランス名付02.jpg



<写真3:「最終アンプ」実機の全体構成>
**「T」はトランス、「CT」はチョークトランスのこと**








211アンプ増幅部回路図(縮ト).jpg

<図面:1信号増幅部の全回路図>





211アンプ電源部回路図(縮ト).jpg




<図面2:電源部の全回路図>







回路構成の基本的考え方
ハイエンドオーディオ(音が最上の意味)の真空管増幅器の基本設計において、もっとも重要なのは、各部・各段・各ブロックごとに「自己完結(独立化)」させることであると信じている。
つまり、ある部分の擾乱(オーディオ信号以外の予想しない様々な変動や雑音)が、前段や後段、もちろん他の部分にも影響を与えない回路構成とすることである。
その最も典型的な例としては、アンプ本体を「ステレオ構成」にせず、左右のチャンネルを完全に独立させた「モノラル構成」とすることを考えればよい。
またステレオ構成にした場合は、左右の電源部を、電源トランスを含めて独立させたり、筐体を金属で区分けしたりすることも、よく行われている。
そういったアイソレートの考え方を、増幅回路そのものにも当てはめたものである。

この考え方と対極にある直流増幅方式などは、理想ではあっても、そう簡単に回路図どおりの動きをするはずはない、と思っている。
あちこちの部分で、擾乱は多かれ少なかれ発生しており、それが後段にはもちろん、逆方向の前段の方向にも悪影響を及ぼす、と私は考える。

そのように自分勝手に考えるとして、この「独立化」は、真空管増幅器でなければ実現できない。
半導体では現実問題として、そんなことを言っていては回路設計ができない。
半導体の場合は、「各部のアイソレート」などとはまったく別のアプローチがあると思う。

回路各部の「独立化」。
そして回路の動作の必要上、欠くべからざるもの以外、徹底的に省く簡素化。
ただし安全・保安上に必要なものは、音質に多少影響がありそうでも略さない(電源トランスの中点に赤で追加した抵抗などが一例)。


さて、こういった考え方が本機の回路設計全体を貫く大基本であり、その最終結果として図面1、2の回路図に到達しました。
やむを得ず妥協した部分もあります。
そういった観点から回路図を「読んで」いただければ幸いです。
さらに、回路各部の「ここはなぜこうしたのか?」などの?に対して、説明を加えたい箇所もいくつかありますが、それは後日の日記に綴ります。
また、妥協した箇所や、工房とのやりとりなども、記(しる)そうと思っています。



起承転結
20年を経た本機の誕生を振り返ってみて、それには、はっきりとした「起承転結」があったことに気付きました。
そもそも人の存在がそうである、と言われているように、本機も「奇跡の存在」ですよ、と写真1が語っているように感じています。


(最終アンプ(4)全回路図と801Aシングルアンプ おわり)

いとし子(6)爺様の古ラジオ~源流の水音~ [オーディオのいとし子たち]

第一歩
この古ラジオは、1931年(昭和6年)前後に作られました。
日本のラジオの本放送が開始されたのが1925年(大正14年)なので、その僅か6年ほど後に発売された一般市販のラジオです。

「放送」というものをほとんどの人が知らない、その概念すらなかった時代に始まった「ラジオ放送」。
その後の社会を大きく変えていくことになる「マスメディア」の出現です。
そういった時代背景を勘案し、改めて写真1や2を見直してみてください。
その姿・格好、そして作り。
本当に驚きました。
現代の真空管アンプのデザインの目線で見ても、第1級の秀作だと思います。

このラジオの音、良くありません。
良くない原因の8割方は、マグネチック・スピーカーの音の悪さにあります。
ラジオのオーディオ増幅部は2段増幅であり、まあまあの音がしています。
もっといい音で聞きたい、いい音を出してみたい。
この音の悪いラジオから、「オーディオ」の第一歩が始まったのだと思います。

ダイナミック型スピーカーの実用化、ラジオのチュナー部の音質改善、オーディオ信号増幅部の低歪化、大出力化など。
時代とともにラジオの音質はどんどんよくなっていきました。
オーディオの歩みの第一歩。
爺様の古ラジオの時代がオーディオの源流、つまり、「オーディオ」の音の原点ではないか。
そういう気がします。

今日の日記は、私の祖父が静岡の田舎で聴いていた(おそらく辛うじて受信していた)「爺様の古ラジオ」について綴ります。

コンドル・シャシー前面(縮ト)DSCN0033.jpg

<写真1:木のケースから取り出したシャシーの修理前の前姿>
*底板の数本のビスを外せば中身をそっくり取り出せる。どうですか、なかなか立派でしょう。なんだかラジオって、後年になるほどペラペラな作りになっていくみたい**





大きなのっぽの古時計・・・
などもあったが、時計にはあまり関心がなかった。
もう何十年も昔のこと、祖父の家を整理した。
そのとき、保全しなければ、との思いで「大きな、リッチ(風)の、古ラジオ」を我が家に連れて来た。

この頃の「ラジオ」、綴り字は「ラヂオ」なんですね。

この手のラジオ、散逸させてはならない「文化遺産」である。
なにしろ真空管が使ってある。
もうそれだけで重要文化財級の骨董品になる(私には)。
そのくせ、屋根裏部屋にしまい込んだきり、その存在すら忘れて、ン10年。
そしていつもの癖、STAX ELS-8Xみたいに、何かのきっかけで急に整備に取り掛かった。
それは10年以上前のことであるが、さらにおまけがついた。
「ラジオ」の面白さにハマってしまった。
今度は内外の古ラジオ集めが始まった。


立派な作り
きっかけが何であったのか思い出せない。
急に整備する気になり、屋根裏から下して上ぶたを開けて驚いた。
内部は埃もほとんど積もっておらず、きれいな状態であった。
それよりも、作りが立派であることに目を見張った。
これほどしっかりと作られているとは気が付かなかった。
以前に見た時は、琴線をスルーしたのだろう。
いったい何者なんだろう、このラジオ。
いつ頃の製品で、メーカーはどこだろう。

コンドル・シャシー背面(縮ト)DSCN0029.jpg

<写真2:取り出したシャシーの後ろ姿>
**どうですか、この美術工芸品のような造形美。しっかりした作り。写真手前の3本の銅色の筒は真空管のシールドケース。真空管に被せてある。真空管は全部で5本使われている。左端の箱は電源トランス。中央の箱にはバリコンが入っている**



ラジオのシャシーに「美術工芸品」の香りが漂う。
普段は人目につかないラジオの臓物を、これほど美しく仕上げるセンスが、またその余裕が、この当時にあったのだろう。
いったい、いつの時代のものなのか。


この古ラジオ、身分証明書の銘板あり
身元の手掛かりはたくさんあった。
電源トランスの上に、「身分証」の銘板が打ち付けてある。
シャシーの右奥背面には「THS RADIO」のロゴの刻印もある(写真7)。
さて、こんな古ラジオの情報は、どこを調べれば出てくるのだろうか。
写真4の撮影日を見ると、2000年2月である。
この時期の日本のインターネットは、ブロードバンドがようやく始まった頃であり、まだまだ幼く、情報も少なかった。
実は確信的な心当たりがあった。

トランス上の銘板(縮ト)DSCN0019.jpg




<写真3:電源トランスの上に打ち付けられている銘板>
**丸い方の銘板の「東京電氣株式会社」とは後の東芝。丸い銘板は、このラジオの製造会社を表すものではない**








当時のラジオ(制度的名称は「放送用私設無線電話」)は、無線設備とみなされ、設置するには当局(東京逓信局長)の「実施許可証」が必要であった。
私の推測であるが、時代が下るにしたがい、ラジオの数が急増し、そんな面倒なことをやっていられなくなった。
そこで、このラジオの場合は、「東京電気のパテントを使用していること」とか、「東京電気製の真空管(商標サイモトロン)を使用していること」を理由に、このような銘板で許可証に代えたのではないかと思う(違うかもしれないが)。四角の銘板下部の「T.E.Cのパテントに基づく」や、写真2の真空管の黒いベースに、「マツダ」(東芝)の刻印が見える(真空管は消耗品であり、そのつど新しい時代のものに取り替えられている)。


愛宕山のNHK放送博物館
東京港区芝の愛宕山の頂上に、NHK放送博物館がある。
愛宕山は、1925年に日本のラジオ放送の本放送が開始された舞台である。
演奏所(放送局)も、送信アンテナも、愛宕山の上に建設された。
なのでここは日本の「放送」に関係する人たちの「聖地」です(私がそう思っているだけかもしれないが)。
昔のそれらは取り壊され、現在はリニューアルされたNHK放送博物館が建てられている。
そこの何階であったか、図書資料観覧室がある。
そこに、「無線と実験」誌(現在の「MJ無線と実験」)のバックナンバーが、創刊号からきちんと整理されて閲覧できるようになっている。
誌の創刊は、ラジオ放送開始の前年、1924年(大正13年)である。
この雑誌、以降綿々と今も元気に刊行を続けている。
大したものだと思う。
以前、会社の別館が神谷町にあったので、放送博物館には何度も行ったことがあり、資料室の中もよく知っていた。


余談、愛宕山に登る山道がいい雰囲気
愛宕山は、古い歴史にもよく登場する。
頂上には、徳川家康の命により祀られた愛宕神社があり、その表参道(に当たると思うが)はたいへん急な長い石段になっている(86段あるらしい)。
「出世の石段」。
徳川家光が正月晦日の芝増上寺参詣の帰途、その階段の上にみごとに咲いている梅の花を見て「誰かあの枝を馬に乗ったまま折ってくる者はいるか。城中への土産にしたい」と言ったという。
何人かが挑戦して失敗し(重傷者も出たらしい)、最後に讃岐丸亀藩の家臣、曲垣平九郎(まがきへいくろう)が進み出て、みごとに枝を手折って下りてくることに成功したという逸話である。
なにしろ将軍家光の御前である。
平九郎、時の全国的スターになったのは当然ながら、その後の人生にどのような出世ストーリーがあったのか、たいへん興味深い。


「男坂」「女坂」
その急な石段は「男坂」と呼ばれており、実はもう一本、石段の右手の方に「女坂」がある。
緑が多く、心が和む、とてもいい感じの上り坂である。
私はこの坂道が好きであった。
山の斜面を回り込むようにして作られた道は、お年寄りでも足が丈夫な方であれば登れるだろう。
車も通れる。
緑が覆いかぶさる山道のような雰囲気があり、途中に「チーズ屋+喫茶店」といった感じの店もあったりする。
機会があれば一度、いい汗をかいてみてはいかがかと思う。
お勧めです!

MJ誌2見開(縮ト)DSCN0147.jpg



<写真4-1:「無線と実験」誌、昭和6年8月号>
**資料室にコピーサービスはない。当時の性能の悪いデジカメで、窓際で明りを採って撮影した**






MJ誌片側(縮ト)DSCN0150.jpg





<写真4-2:同、右ページのクローズアップ>
**あのー、横書きのところは、右から左に向かって読んでくださいね。そうしないと意味不明になりますから**







あった!昭和6年8月号
昭和6年は1931年である。
日本のラジオ放送が始まって6年後の雑誌に、爺様の古ラジオと姿格好が酷似した写真が載っていた。
この雑誌、「無線常識、涌養雑誌」と銘打ってある(写真4-1の左側)。
ラジオが始まって5・6年の時代ですよ。
これを町の本屋で一般の人に売ってたんですかね。
当時、こんな記事を読める人、千人に一人もいないように思える時代ですが・・。
このような、時代の最先端を行くエレクトロニクスの最新記事を、市井の読者が求める。
現代社会の状況からは、信じがたい話である。
おそらくこれは、「ラジオ」という、とんでもなく魅力的なメディア、人を引き付ける途方もない力を持ったメディアを、民衆が渇望していた証拠であると思う。


MJ誌記事(縮ト)DSCN0090.jpg



<写真5:同誌のラジオ製作記事の一部>
**当時、町のラジオ屋さんは、きっとこの雑誌で勉強したんでしょうね**






間違いない。
「田邊のコンドル受信機」とある。
ダイヤル窓の飾り枠の形がちょっと違うが、中身はほぼ同じに見える。
いずれにしろ爺様の古ラジオは、この雑誌が出た年の前後のものである。
あとで調べたら、このラジオを製作した会社は「坂本製作所」。
その販売会社が「田邊商店」(ロゴは「THS」)であったらしい(本店は東京神田小川町とある)。



MJ広告(縮ト)DSCN0066.jpg




<写真6:同誌の「田邊商店」の広告ページ>
**最上部に「THS」のトレードマークがある。これは左から右への現代の読みと混在しているので、時代が少し下ったバックナンバーか**








シャシー背面ロゴ(縮ト)DSCN0207.jpg




<写真7:シャシー背面に、ロゴ「THS]の刻印がある>








シャシー・バリコン(縮ト)DSCN0208.jpg


<写真8:バリコンBOXのケースを外す>
**かなりしっかりと作られたバリコンであることが分かる。チューニングダイヤルをまわすと、回転する「葉」が、固定されている「葉」の間を出たり入ったりして、目的の放送局を探し出す**








コンドル外観(縮ト)Dscn0234A.jpg
<写真9:古ラジオの修復後の姿>
**このラジオ、回路の形式は「高周波増幅付再生検波方式」である。回路形式も作りも、クラス分けは「高級品」だろう。電源ON時はダイアル窓に灯りが点く。箱はそこそこの厚みのある板。天板の奥が蝶番になっていて天板を開くことができる。真空管やヒューズの交換などは上から行う**





スピーカーの音、悪い
この古ラジオに使われていたスピーカーも、完動状態で今もある。
U字形の磁石を使ったマグネチック型であり、写真2の右端上方2つの端子に接続すれば鳴る。
インピーダンスは10kΩぐらいだろう。
ただし音はカンカンしていて悪い。
なので私は、小さな出力トランス(5KΩ:8Ωといったような適当なもの)をその端子に接続して、現在の普通のスピーカーを鳴らしている。
そうすれば、わりあい気持ちよく聴ける。
この時代のラジオに使われた、音の悪いスピーカーが、ラジオ本体の進化とともに、どんどん改良されていく。
人々の「耳」も肥えていく。
オーディオの黎明期とはいつか、を特定するならば、この頃といえるのではないだろうか。

この頃のスピーカーが2種類、私の手元にある。
一つは爺様のマグネチック型、もう一つは米国製のダイナミック型の「はしり」である。
オーディオ発達史の最初の頃を知る、たいへん面白いスピーカーなので、また後日の日記に登場させたい。

マグネチック型のスピーカー。
見れば誰でも理解できそうな単純な仕掛けで、ボール紙のコーンを振動させる。
仕掛けを見ると、思わず笑顔になる愛すべきスピーカー。
音が悪いといっても、能年玲奈と剛力彩芽の声をきちんと区別して再現する。
あのカンカンする音でも、二人の声を聞き違える人はいないから、「けっこういいクオリティー」と言えなくもない。
しかしその音の悪さが、改善に向けての原動力になったに違いない。

爺様の古ラジオ。
源流の水音。
やはりこの時代のラジオこそ、今あるオーディオの原点だと思います。


(いとし子(6)爺様の古ラジオ~源流の水音~ おわり)

甦れ(4回)8X コンデンサースピーカー成功!発音ユニットの分解 [甦れSTAX ELS-8X コンデンサースピーカ]

今日の日記は、8Xの発音ユニットの構造を、文字通り「開」「示」します。
STAX ELS-8X修復の基礎データーとなる核心部分です。
魚ではあるまいし、ですが、本当に「二枚おろし」に開いてしまいました。
発音ユニットの修復作業には、さらに「三枚おろし」にしなければなりません。
三枚の話は後日として、私、釣りはやらないし、魚、もちろんさばけないです・・。


すみません、またちょっと脇道・迷い道ですが、8Xに関連ありなので・・・

射程70m、8Xで那須与一が今に甦る
吉祥寺駅前の大道芸
10年ほど前の吉祥寺の駅前。
買い物をしての帰り道であった。
人だかりの輪の中から、ペンペン、ジャランジャランと三味線のような音が聞こえてきた。
けっこう激しく演っている。
輪の隙間から潜り込んで少し近づく。
芸人風の三味線弾きが、津軽三味線ぽい演奏を演っている。
ちょうど佳境に入ったのか、強烈な音と激しいリズムが盛り上がり、そして万華鏡のような音色の変化に続く。

足がすくんで動けない。
一挺の三味線の、大オーケストラを凌ぐダイナミズム。
まさに圧巻の「音」と「音楽」であった。
「道端の芸」でさえ、これほどまでに人を感動させる。

最初に「音」ありき。
まず「音」。
そしてその「音色」や「響き」があり、「拍子」、「旋律」、「和声」などは、そのあとの話。
昨今、音楽とは、どうやらそういうものではないかと思うようになった。

続く話は今日の日記の後半で・・。



(写真はすべて拡大できます)
左右裏アップ(縮小ト済).jpg




<写真1:向かって右側の本体から高域発音ユニットを取り外したところ>
**不完全ながら、鳴らしながら修復作業を行ったので、ダミーの板をはめてある。修復したユニットが、一つ、また一つと増えるごとに、加速度的に音がよくなっていった**







8Xの発音ユニットの取り外し
8Xの発音ユニットを本体から取り外そう。
それぞれの発音ユニットは、その両脇をアルミチャンネルの棒で押さえられている。
アルミチャンネルとは、断面が「コ」の字形のアルミの棒であり、8Xに使われているものは、「コ」の字の中にピッタリと木材の角棒が埋め込まれている。
発音ユニットを取り外すには、該当するアルミチャンネルを固定している木ネジを外すだけでよい。

STAXカタログ原理(縮小ト済).jpg




<写真2:STAXのカタログに載っている発音ユニットの電極端子の状況>
**3つの小丸が端子。甦れ8X(2)で紹介したカタログの絵を拡大したもの。**





元ユニット電極部(縮小ト済)DSC_6067.jpg


<写真3:高域発音ユニットの電極端子部分>
**中央上のポリカーボネイト製のビスで留めてある端子と、その真裏の同端子が固定極の端子。ユニット右端の上に突き出た端子が振動膜の端子**






発音ユニットの電極端子
再三お知らせしていますがSTAX ELS-8Xは、電源ケーブルを外しても、場合によっては数日間、高電圧がチャージされている場合があります。
4000V(4KV)近くの高い電圧ですので、感電した場合は人命にかかわります。
この方面の知識と経験がない方は、けっして裏ぶたを開けないよう、お願いいたします。

さて、アルミチャンネルを外したら、発音ユニットの電極端子にハンダ付けされている3本のリード線を取り外す(2本は、アルミチャンネルを外す前に取り外しておくほうがよい)。
各端子の状況は写真1、2、のとおり。
ハンダの融けた雫が、発音ユニットにかからないよう、細心の注意で作業する。
3つの端子のリード線を外せば、発音ユニットを本体外に取り出すことができる。
発音ユニットの側面全部(四面)は、軟らかな蝋でコーティングされているが、この蝋は後で取り除くことになる。
実はこの蝋、極めて重要な役目を果たしている。
その話は最重要事項の一つでもあり、後日の日記に改めて綴りたい。

発音ユニットの構造を推理する
STAX ELS-8Xは受注生産品であり、同じ形の各部品を、何千・何万個と作って組み立てたものではない。
なので、ロットにより時期により、構造や寸法が少々異なるかもしれない。
まずこのことが前提であることをご理解いただきたい。

STAXカタログのユニット内部構造(ト済).jpg

<写真4:STAXのカタログに載っている発音ユニットの構造>
**甦れ8X(2)で紹介したカタログの絵を拡大したもの。**



カタログのこの絵、概略図としては分かりやすく描けている。
私もこの絵から、発音ユニットを分解するための重要なヒントを得た。
まずはこの絵をよーくご覧いただき、基本的な構造の成り立ちを頭に入れておく。
そして続く写真を詳細に観察すると、まあだいたい「こんなことだろう」というイメージが湧いてくると思う。

元ユニット端側面(縮小ト済)DSC_6671W.jpg


<写真:5高域発音ユニットの上部の側面>




この側面をよく観察すると、全部で6層あるように見える。
茶色のベークライトが2層+白い塩ビ(実は透明)が2層+茶色のベークライトが2層である。
右手に見える、貼り付けてあるようなチップは、たぶん各層が剥がれないように補強するためのものか。
このチップは側面の数個所に接着されている。
側面の蝋のコーティングを除去すれば分かりやすくなるのだが、残念ながらその写真を撮ってない。

元ユニット角の2面(縮小ト済)DSC_6102T.jpg




<写真6:高域発音ユニットの下部の角付近>
**この写真は、各層が鮮明ではないが、全体の状況を観察していただきたい**








発音ユニットを魚のごとく「二枚おろし」にする
さて、発音ユニットの基本構造がおぼろげに見えてきたとしよう。
真ん中から2つに割っても大丈夫そうだ。
次の目標は、このユニットを「二枚おろし」のように、真半分に割りたい。
見た目では、各層がしっかり接着されていて、いずれの層も分割できそうにない。
いろいろと苦慮した。
真ん中の透明な層(白く見えるが)は、アクリルか何かだろう。
そこを「発泡スチロール・カッター」のような電熱線で、鋸を挽くように融かしていったらどうだろう。
ベークライトは熱に強いから、透明層だけ融けるはずだ。
最悪、電動工具で切断か。
などなど1・2日悩んだ。

元ユニット二枚おろし(縮小ト済)DSC_6533.jpg

<写真7:真半分に「二枚おろし」した発音ユニット>
**上側に元の振動膜が付いている**






あっけないほど簡単だった「二枚おろし」
「二枚おろし」は超簡単だった。
まず、「補強チップ」は削り取っておく。
透明の層は、ベークライトとの接着面も、透明同士の接着面も、カッターナイフの刃をうまく入れると、パリパリと接着面に沿ってきれいに剥がれた。
魚をおろすのにコツがいるのと同様、カッターナイフの刃をうまく入れるのもコツがいる。
また、刃を深く入れすぎると、パンチングメタルを傷つけるので注意が必要である。
この思ってもいなかった「幸運」は、たぶん、20数年経たことによる接着剤の劣化ではないかと思う。
接着剤は、見た目や、硬さの感じから推測すると、おそらくエポキシ系だろう。
そして透明の部分は、硬さからアクリルではなく塩ビ(塩化ビニール)だろう。
ベークライトと塩ビとの、接着剤の親和性があまりよくなかったのかもしれない。
その一方、ベークライトのベースと、同じベークライトのバーとは、完全に一体になったように強固に接着されており、カッターの刃など、まったく受け付けない。
たぶん同じ接着剤であるが、材質によって接着力に大きな違いがあるようだ。

いずれにしろ発音ユニットは、みごとに、本当にみごとに「二枚おろし」になった。
やった、ヤッター!。
この時点で、この先も「やれそうだ!」と明るい目標が定まった気がした。
人の人生に、そう多くはないであろう「大きな喜び」の一つに数えてもいいほどのうれしさであった(他愛もないものに・・であるが)。


元ユニット内面フィルム付(縮小)DSC_6546.jpg


<写真8:高域発音ユニットを「二枚におろした」片側の内面>






元の振動膜が残っている側。透明なのでよく判別できないが、ななめのに走る反射光でかろうじてフィルムの存在が分かる。
ベークライトの基盤(ベース)、ベークライトのバー、塩ビのバー、パンチングメタルなどの位置と相互の関係をよーく観察していただきたい。
外枠の上下の穴は、分解前にあけたもの。
この穴は再組み立て時に必要となるが、今回は触れない。


核心!発音ユニットの基本構造
写真3~6をよく観察すれば、おおよその構造は推測できる。
実際の発音ユニットの基本構造と、各部の「アバウトな寸法」は、図1のようになっていた。
図のイメージは、全域および低域の発音ユニットのものであるが、高域ユニットも基本は同じである。
ただし高域ユニットのパンチングメタルは、両端の形が半円ではなく、角を丸めた「角」である(ベースの開口部は半円形)。

なお、パンチングメタルの厚さは、U字アームを持ったマイクロメーターのようなものを持っていないので測定できていない。
が、甦れ8Xの初回で指摘した、「ギャップが狭いという他のESLとの大きな違い」が、この図で分かると思う。

発音ユニット図面(B5jpeg).jpg




<図1:発音ユニットの基本構造図>







さてさて構造が判明したまでは、うますぎる展開でした。
あとは工夫次第、アイデア次第、やる気次第ですが、この後のアイデアを搾り出すには、かなりの体力を消耗することになりました。



本通りから、再び脇道に入りますが、お付き合い願えれば幸甚です。

那須与一CD(縮小ト済).jpg

<写真9:CD「琵琶 中村鶴城 平家物語をうたふ」>
**私の愛聴盤50選(があるとすれば)のなかの一枚**




和楽器の再生も大得意の8X
8Xで聴く平家物語。
那須与一の緊迫のシーンが、目の前でリアルに展開される。
終わった後、しばらく動けない。
こんなもの、爺様しか聴かない、と思っていたが、とんでもなく現代的であった。
この演奏家の琵琶、超現代的だと思う。
CD、「琵琶 中村鶴城 平家物語をうたふ」。

地下鉄神谷町駅から虎ノ門へ向かって、大通りを少し行って右に折れたあたりに、琵琶の製作工房がある。
そう、和楽器の本物の琵琶、非常にめずらしいが都心にある。
以前、会社の別館が近くにあったので、ときどき覗いて見学した。
理由は聞かなかったが、その工房に中村鶴城のCDが何種類か置いてあった。
売り物だというので、数枚求めた。
10数年前のことである。

那須与一の扇までの射程距離70m
このCDの中の「那須与一」、だれもが知っている物語。
源平合戦のさなか、一艘の小船の上に、うら若き乙女が扇をかざした竿を持って立つ。
この扇、みごと射てみよ、という挑発というか、誘いである。
周りの者から射手に推薦された「下野国の住人、那須太郎資高が子にて、那須与一宗高」が、義経の命を受け、命を懸けて挑む感動の物語である。
馬上、距離を縮めるために海に入っても、扇までの距離が「7段」(約77m)あるように見えたという。
物語の脚色を勘案して50mとしても、揺れる船、自分は海中で足掻く駒の上、風もあったというから、どだい無茶な話である。
オリンピックのメダリスト、「中年の星」といわれた山本博選手の現代の弓矢でも、100に1つもダメなのでは、と思う。

琵琶の強音でスピーカーのボイスコイルが飛ぶ
この物語を、薩摩琵琶の名手、中村鶴城が演じている。
圧巻である。
それまでは平家物語の琵琶、総じて私には聴いていられなかった。
ひどくつまらない。
それを中村鶴城の演奏が、琵琶という楽器の印象を180度ひっくり返してしまった。
この楽器から出る音の、あらゆる可能性を「使い倒す」ような奏法である。
この楽器、凄まじくダイナミックな楽器である。
撥弦楽器でこれに匹敵するものはおそらくないだろう。
弦を撥(ばち)で強打するフルパワーの一撃は、スピーカーのボイスコイルが飛び(焼け切れること)、コンデンサースピーカーの振動膜が裂ける。
その恐怖が伴うほどの衝撃音が鼓膜を刺す。
この楽器、出せる音の幅(音程のことではない)がとても広く多彩である。
演奏法も「多芸」である。

こういったパルス的な大衝撃音も、8Xは易々と平気でこなす。
ついでにいえば、8Xによる篠笛もたまらなくいい。
篠笛の、歌口を切る空気流の雑音を伴った音色の魅力など、苦もなく再現する。
篠笛は日本独自の「庶民の笛」であり、何の付属物もない竹筒1本の簡素な横笛である。
そこに篠笛の、単純のようで深みのある音色の妙があるのだろう。


修復した8Xで繰り広げられる源平絵巻。
与一が、騒ぐ海が、足掻く駒が、折れんばかりに引き絞られた弓弦(ゆんづる)が<このシーン、琵琶の弦を撥で強くしごいてその効果音を出す>、唸りを曳いて扇に吸い込まれる鏑矢(かぶらや)が、超現実映像のように目の前に広がる。

8Xはそういう世界に連れて行ってくれる音のリプロデューサなのです。


(甦れ8X(第4話)成功!発音ユニット「二枚おろし」 おわり)

いとし子(5)EMT927の原型を作ったLyrecのテレコが好き [オーディオのいとし子たち]

今回の日記の「いとし子」は、メインシステムと常時つながっている「オンライン待遇」なので、分類を「オーディオルームのコンポーネントたち(2)」にしていたのですが、あまりに可愛いマシンなので「いとし子(5)」に入れてしまいました。
私、オーディオ機器の「回りもの・メカもの」の中で、テープレコーダーが一番、ダントツに好きです。



「1/fのゆらぎ」にヒーリング効果があるとか、ないとか。
そんな「ゆらぎ」、これにあってはならない。
極めて安定した定速走行こそ、アナログ・テープレコーダーの命である。

10吋(インチ)のリールがゆっくり回る。
1/4吋(6.35mm)幅のテープが、走行系の七曲がり(ななまがり)のカーブをスムーズに通過していく。
サプライリールからテイクアップリールへ、静かに、滑らかにテープが流れる。
そしてその流れから、とても整った、とてもバランスのよい音が再生される。

アナログのテープレコーダー。
よくできた器の、その録音・再生の音響クオリティーは、人の耳にとてもよく馴染み、アナログの頂点を極めたような「凄さ」がある。

(写真はすべて拡大できます)
斜め上(縮小ト済)DSC_7595.jpg
<写真1:Lyrec社のプロ用可搬テープレコーダーFRIDA>
**すっきりと整理されたデザイン。テープ走行系は非常にシンプルであるが、走行安定性は抜群。写真が下手で、ビュンビュン回っているように写っていますが、ゆっくりです。左前の付着物はゴミではなく、テープ末端を留めてあった接着テープです・・**




テープレコーダ事始
人の一生において、その後の生き様に大きな影響を与えることになる有形・無形のものとの出会いがいくつかある(と思う)。
私にとってその一つが、高校の放送室にあった最新最高級のテープレコーダーTC-777であった。
SONYの「スリーセブン」、TC-777。
その仕様、つまり、作りや性能は、ほとんどプロフェッショナル・ユースである。

私はこのスリーセブンで、「本物(プロ仕様)」と「普及品」の違いを体感した。
マイクロSWを使ったフェザータッチの操作性、俊敏な反応と動き、アルミ・ダイキャストの堅牢なベースに支えられたメカが発する「信頼の動作音」、ボリュームの感触、VU計の動き、それらを統合した美しい現代的デザイン。
当ブログ内のどこかで、「第一級品のみが発する「質感」のオーラを感じる」などとおふざけ表現をしているが、まさにその感覚の種は、この777が起源ではないかと思う。

担当の先生は、この777をけっこう自由に使わせてくれた。
家にあった家庭用テープレコーダーの傑作機、オール・アイドラ・メカのSONY TC-101で、AMラジオをエアチェックしたポピュラー音楽のテープを、構内の催し物などでガンガン鳴らした。
しょっちゅう、内臓パワーアンプのプロテクターが動作して止まったことを覚えている。

このTC-777。
学校の放送室に「なにも語らず、ただ在っただけ」であるが、この少年(だか青年だか)に、高校教育では教えることができない「教育」をしてくれたのではないかと思っている。
このTC-777に熟達するほど使わせてもらった経験は、その後の私が歩む道に、とても大きな影響があったと思っている。

WS00427(ト済).jpg

<SONY TC-777:その後に発売された同社の数多くの一般市販の機種を含めて、これほどプロ仕様に近い作りのものはない。4トラック・ステレオモデルの最終バージョンまで、数モデルがあった>
写真は「SONY make.belleve」サイトより




デンマークLyrec社
この会社、欧州では知らない業界関係者はいないほど有名な老舗のプロ用オーディオ機器メーカーである。
1945年あたりから、徐々にレコードのカッティングレーサー(カッティングヘッドを含めたカッティングシステム)などを手がけ、カッティングした盤を試聴する検聴用プレーヤー、各種の磁気テープレコーダー、高速デュプリケーター、そしてデジタル音響機器へと、今に続く音響メーカーである。

メーカーロゴのアップ02(縮小)DSC_7626.jpg




<写真2:本機左手前にあるLyrec社のロゴ>
**DENMARK製。テープを上に押し上げている「ただの棒」のテンションアームが実は「ただの棒」ではない**








EMT927の原型
Lyrec社の検聴用プレーヤーは、日本のターンテーブル愛好家の垂涎の的とされているEMT927の原型といわれている。
内外のサイトで、その図体の大きな検聴用プレーヤーや、その謂れを見ることができるが、Ortofon社とも絡んで製作したらしい。

そのような有力オーディオ機器メーカーであるのに、どういうわけか、日本の業界にはほとんど入っていない。
日本への進出に興味がなかったのか、失敗したのかは分からない。
毎年、幕張で開かれるInterBEE(放送機器展)に、2000年前後のある年(年不明)、Lyrec社のブースがあったらしい。
そのブースで今日の日記の「いとし子」、Lyrec FRIDAが展示されデモを行っていたという。
私も現役時代に、InterBEEは毎年欠かさず見学してきたが、まったく気付かなかった。
これほど美しく魅力的なマシンに気付かないとは、要するにロクに見ていないという証拠だろう。

Lyrec社のテープレコーダー「FRIDA」
まず格好がすばらしい(私の美的感覚では)。
1989年に発売された放送局用の多目的スタジオテープレコーダーであり、「標準ポータブルテープレコーダー」とも銘打っている。
操作性が抜群によく、かつ、どのような操作を行っても、テープへの負担が非常に少ない(つまり安心してテープの取り扱いができる)。
「テープにやさしい」とはいえプロ用である。
民生機のような「かったるい」動きのスピードでは、緊迫の現場では使えない。
早送りも巻き戻しも、恐ろしいスピードになる。
リールが風を切る「シャー」という叫びが恐怖を呼ぶ。
そこでいきなりストップボタンを押しても、このFRIDA、やはりテープにやさしい適度な助走でソフトランディングする。
その急ブレーキ時に、左右のリールモーターが発する電磁ブレーキの「ピューウ」という音が小気味よい(かなりマニアックですが、そうなんです)。
この「テープにやさしい」は、本機の全メカを統括する強力なサーボ機構が実現している。

強力なリールサーボとキャプスタンサーボ
我が家のオーディオ部屋には、局用のOTARI BX-55の右脇に、DENON DN-3602RGがある(「オーディオルームのコンポーネントたち(1)」の写真にかろうじて見える)。
このDENONのテープレコーダーには、小型洗濯機の主モーターほどの大きなキャプスタンモーターが付いている。
(このDN-3602RGの「メカ部」については、いつか日記に綴らねばならない。質実剛健そのものであり、100年酷使してもビクともしないメカはこうあるべき、あくまでも滑らかなテープ走行を極めるにはこうするべき、を物量投入でやってしまった凄い作りである)
そのキャプスタンのDDモーターには、巨大なイナーシャが与えられているが、コンソール型だから「それ」ができる。
しかしFRIDAは小型のポータブルタイプであり、「コンパクトかつ軽量」が要求される。
そこで巨大イナーシャの代わりに登場するのが「サーボ」技術である。
FRIDAのメカの信頼感と、その操作のスムーズな小気味よさは、サーボ技術の成果であり、その威力である。

リール台取外全景(縮小ト済)DSCN1023.jpg

<写真3:リールサーボのためのリール台裏の回転速度検出用パターン>
**リール台を取り外すと、台の裏側にリール台回転速度検出用のパターンが印刷されている。リール台の下の一番奥の穴から出る光素子の光がリール台の裏で反射し、同じ穴の下にある光検出器で、単位時間あたりの光の強弱をカウントして回転速度を算出する。右側リールも同じ構造**




テンションアーム(縮小)DSCN1000.jpg
<写真4:右側のテープ・テンションアームの位置検出装置と、テープローラーのタコメーター>
**テープ・テンションアームと一体で動く細長い「くさび状の穴」を通過する光の増減を検出し、テンションアームの位置を算出する。左側も同じ構造。
テープローラーのテープ接触面の速度は、テープの走行速度に等しい。直結した穴あき円盤の穴を通過する光のパルスをカウントし、テープの走行速度を算出する。同じ構造のタコメーターが左のテープローラーにもある**



キャプスタン裏(縮小)DSCN1010.jpg



<写真5:キャプスタンのサーボ機構>
**左の小プーリーがモーター。右の大プーリーがキャプスタンである。透明なベルトで駆動される。どちらもこの程度の大きさなので、フライホイール効果(イナーシャ)は大きくない。キャプスタン側にスリットを刻んだ円盤があり、このスリットを通過する光のパルスをカウントして回転速度を算出する。写真の上部にその光源と光検出器の素子が見える**






左右のリール台の回転、左右のテープ・テンションアームの位置、左右のテープローラーによるテープ走行速度、そしてキャプスタン・プーリーの回転速度。
時々刻々と変化するこれらの状態を数値的に把握し、キャプスタンモーターやリールモーターの回転やトルクを制御する。
これらのサーボシステムが賢いのは、それぞれの部分が独立して制御されるのではなく、互いに関連し合って統合的にサーボ制御が行われていることである。
たとえばテープローラーのタコメーターは、テープカウンター(テープの走行時間計)の表示用だけではなく、テープ走行の基本的な制御にも、リールモーターの制御にも深く関連している。


裏全景(縮小ト済)DSCN1011.jpg

<写真6:本機の裏側の内部>
**薄いパンケーキのようなリールモーター(日本製。YASKAWA ELECTRIC)と、重ね合わせた「棚田」のようなプリント基板が印象的。プロ用機の機能と性能を、このスペースにうまく詰め込んだ**





細い蓋閉開(組).jpg



<写真7:各テープスピードのEQの調整等、保守時の各種調整は、すべてこの「隠しスペース」で行える>
**下側の写真では左のテープローラーのタコメーターと、テンションアームのくさび状の穴が見えている**









Lyrec&REVOXDSC_7638.jpg




<写真8:本機の置き台は、手抜き作業で急ごしらえした(急に思いついたので)。>
**下のREVOX A700は4トラック。実はその裏にも同じくB77MKⅡの2トラックが収まっている。私のオリジナル・アイデアラックです。前後を分ける中央部にも補強の板を立てたので、強度は十分、グラグラはしない(程度です)**







正面(縮小)DSC_7661.jpg<写真9:「マスター巻き」>
**2トラックテープなどは、ひっくり返して逆方向にも使う、ということはない。この写真のように、再生が終わったテープは、右側のテイクアップリールに「きれいに」巻き取られている。テープは最後まで再生し、きれいに巻き取られたテープを、そのままの状態で箱に収めて保管する。これが「マスター巻き」です。次に再生する時には、右側のリール台にセットし、巻き戻してからスタートします。大切なテープの保管には、このやり方でどうぞ**



10吋(インチ)のリールがゆっくり回る。
’60年代、懐かしい青春時代のOldiesが、毎秒3.75吋(9.5cm)のテープから甦る。
15吋(38cm)では落ち着かない。
7.5吋(19cm)は「普通」すぎてつまらない。
ノーマルテープが巻かれた10吋リールの録音時間は、3.75インチ(9.5cm)ではたっぷり2時間+おまけの数分。
多少ハイは落ちるが、そのほかのクオリティーはしっかり。
そこがいい。

あの頃のOldiesがまだ鳴っているのか・・。
正確なテンポでゆっくり回るリールが安らぎを与え、やさしい睡魔があの時代の夢に誘(いざな)う。
こんな贅沢な午睡の時間が授かれば、それがオーディオの至福の時間というものだろう。


(いとし子(5)EMT927の原型を作ったLyrecのテレコが好き おわり)

いとし子(4)6BQ5ブースター付き電池管ラジオ [オーディオのいとし子たち]

これ、ただの「電池管ラジオ」ではない。
いざ有事の際には、内臓の6BQ5三結シングルのアフターバーナー砲が炸裂する。
それだけではない。
砲の狙いは手動ではあるが、最新鋭電子照準器6E5が、緑の目玉を光らせアシストする。
その上、もう一つの声量指示器6E2の薄緑のバーが、音の強弱に合わせてピコピコダンスを踊って応援する(何の役にも立たないが)。
秘密兵器のはずであったがシースルー。
装甲はアクリルでも、内臓SPの音はけっこういい。
ちょっと言い遅れたが、アフターバーナーが発する膨大な熱は、連動のターボファンが吸引し外気に放散する。

どや。



これ、自分で作りました。
笑ってやってください。
いや、お笑いくださるな。

(写真はすべて拡大できます)
電池管正面(縮小)DSC_7553.jpg




<写真1:これ、2年ほど前に作った電池管ラジオ>
**千葉のマザー牧場から連れてきたミルク牛がAFN(昔のFEN)あたりを聞いている**








この電池管ラジオ、動機はいたって真面目なんです。
311地震の後、節電に心がけねば、との思いから、低消費電力の電池管ラジオを思いつきました。
NHKのAMラジオを、日常、トリオのW-10(いとし子(3))でよく聞いていましたが、いくら音がいいからといって、140Wもの無駄な熱を、のべつ幕なしに発生させておくのはまずいでしょう。
そこで名案!、そうだ、「電池管ラジオ」を作ろう。
となったわけです。
目的が「節電の気持ち」ですから、「アフターバーナー」やマジックアイなどには、それぞれの電源ON/OFFスイッチを付け、常時はもちろんOFFにしてます。

電池管ラジオ
電池管式ポータブルラジオのファンは多い。
そのデザインの独特の雰囲気には、一瞬にして遠い昔にタイムスリップするようなノスタルジーを呼び起こす。
裏ぶたを開けたときに見える電池管やB電池などにも郷愁が漂う。

トランジスタラジオの足音が聞こえてくる。
実用的な商品としてのトランジスタラジオの出現は1954年であり、日本の東京通信工業(現在のソニー)も1955年に商品化に成功した。
電池管ラジオはその後急速に絶滅に向かい、英国ポップスのヒット曲、アルマ・コーガンの「Pocket Transistor」の流行とともに姿を消した。
しかし幸いなことに、その当時大量に生産された電池管が多種、今もたくさん生存しており、入手も比較的楽であるのはまことに喜ばしい。


電池管4本(縮小ト済)DSC_7582.jpg


<写真2:本機で使用した4本の電池管>
**外観や大きさなどは一般のMT管と大差ないが、消費電力は劇的に小さい。左から1R51T41S53S4。用途は下記**





電池管とは
電池管とは、乾電池で動作するように作られた真空管である。
大抵のものは、ヒーター電圧1.4V、B電圧67.5Vで動作し、それぞれの電圧を供給するための乾電池が用意されていた。
1.4V(1.5V)は現在のものと同じであり、普通のポータブルラジオには容量の大きな単1タイプを使った。
67.5VのB電池(電池管のB電源用)は、かなり大きな長方形の羊羹(ようかん)のような形をしていたが、他に用途がほとんどないので、電池管ラジオと運命を共にした。

本機のラジオの方式は「4球スーパー」(4球スーパーヘテロダイン方式)。
戦後のラジオの、ごく一般的で当たり前の構成である。
本機に使用している4本の電池管とそれぞれの用途、そのヒーター電圧/電流は、

周波数変換      1R5、1.4V/25mA
中間周波増幅    1T4、1.4V/50mA
検波&低周波増幅 1S5、1.4V/50mA
電力増幅       3S4、1.4V/100mA(67.5V動作で出力は160mWほど出る)

であり、4本合計で僅か1.4V/225mAである。
つまり4本の電池管のヒーター電力は、合計なんと「0.3W」。
ちなみにお馴染みのMT管、12AU712AX7のヒーター電圧/電流は、6.3V/300mAであることから、「4本合計1.4V/225mA」が、いかにすごい省エネを達成していたかに驚く。
これほどの「偉業」を成し遂げた電池管開発史には、数々のドラマがあったのではないかと思う。

作った電池管ラジオの形
本機の視覚的なデザイン。
モチーフは、正面に大きなバーニアダイヤルとマジックアイ。
日常的によく聞くラジオであるから、スピーカーは前面、いい音で。
それらを暖めていたらこんな形が生まれた。

電池管R斜前(縮小ト済)DSC_7512.jpg


<写真3:全体的なデザインはこんな形>
**前面と背面と底面のアクリルは5mm厚。後ろ上部の屋根に乗っているのは排熱用のファン。6BQ5ブースター稼動時に連動して回る**




電池管Rマジックアイアップ(縮小ト済)DSC_7555.jpg




<写真4:マジックアイ6E5
**「いとし子」(3)のトリオW-10に使われているマジックアイと同じ。その当時のマジックアイの大定番であった**







電池管自作キャビネット図面(横・上)106.jpg


<図面:材料を相手に工作を始める前に、あれこれ心に描きながら書いた図面>
**たとえおもちゃっぽいものでも、とにかく図面をごまかさず正確に描いておくことが第一、ということが身にしみて分かりました。今回の大反省です**





電池管ラジオ部はキット
電池管ラジオの基本部分はキットを利用した。
キットを組み立て調整し、電源さえ供給すればラジオが鳴る完全キットである。
筐体や6BQ5周り、2種類のマジックアイ、排熱ファン、それらの電源などは、私のおバカなお遊びなので、もちろん自己調達オプションである。

電池管横(縮小ト済)DSC_7543.jpg
<写真5:本機内部の様子>
**アンテナはフェライトコアのバーアンテナ。したがって置く方向によって感度が変わる。
大きなバーニアダイヤルにバリコンの軸が直結されている。
水平に挿された4本の電池管は、バリコン側の左から1R5・・3S4、先に紹介した並び順である。
底面には出力トランスと3つの電源トランスが乗っている。
最後部に垂直に立っているのが6BQ56E2**



6BQ5ブースター
外部スピーカーを接続し、いい音で聞きたい時のために、パワーブースターを組み込んだ。
ヒーター電力が大きすぎるが、他に適当な手持ちの球がないので6BQ5にした。
三極管結合にしたのは、回路が簡単になるからであり、音質の問題ではない。
プレート電圧は230V程度なので、最大出力はたぶん1Wちょっと、というところだろうか。
出力トランスは、6BQ5三結に適合するそこそこのものを見繕い、電池管の出力管と共用できるようにした(負荷インピーダンス5KΩ端子を使った)。
6BQ5の隣に立っている、音の強弱に反応して緑のバーがピコピコ動く球。
6BQ5に連動するお遊びのレベルメーター、6E2には何の意味もない。
その6E2をここに付けた「バカさ加減」を分かってくれる人は、冷や・・、いや、暖かく「バカだねー」、とか「アホやな」と言ってくれる。

この6BQ5の音、写真の右手に見える小さな出力トランスでも、けっこう気持ちよく聞ける。
「いとし子」(3)写真1のALTEC MODEL19を鳴らすと、大抵の方はAMラジオの意外な音のよさに驚く。


電池管背面(縮小ト済)DSC_7568.jpg



<写真6:背面から見た6BQ5ブースターと隣のマジックアイ6E2
**6E5との頭が揃うように、6BQ5のソケットはシャシーから少し沈めてある。右上のスナップSWはチューニング用マジックアイ6E5の電源ON/OFF。右下はブースターと6E2の電源ON/OFF。下中央の外部SP端子の上のSWはSPの4Ω/8Ωの切り替え**








排熱ファン
このラジオ、電池管だけで内臓スピーカーがガンガン鳴る。
決して悪い音ではない。
普段はどんな番組でも、この音なら文句はない。
また普段は電池管だけで聞いているので、「冷却」や「積極的な通風」などは考慮する必要はない。
しかし6BQ5ブースターをONにすると、ヒーターだけでも6.3V/0.76A(4.8W)の熱が発生する。
当初は底板と天板に、適当な通風孔を開けておけばいいと思ったが、とんでもない見込み違いであった。
本機のような小さな空間では、強制空冷が必須であることが分かった。
そこで急きょ、取ってつけた格好になったが、小さなDCファンを6BQ5の真上に乗せた。
DCファンは高周波のノイズが発生する。
AMラジオの周波数帯にも、そのノイズのスペクトルが広がっており、チューニングダイヤルをゆっくり回していくと、何箇所もその妨害波が受信される。
対策は、低電圧駆動、低速回転、ノイズフィルターの挿入、この3つである。
本機には5VのDCファンを、安定回転が確保できる程度の電圧で駆動し、小型のノイズフィルターを入れている。

電池管Rファン(縮小ト済)DSC_7536.jpg



<写真7:6BQ5ブースターの冷却ファン>
**DCファンの駆動電源は、同じ箱の中に組み込んだ。ファンの動作確認用として、その3端子レギュレータの取り付け穴に、ブルーLEDを入れ込んだ**






この6BQ5ブースター付き電池管ラジオ。
内部の配線も美しく束線するはずであったが、そううまく段取り通りにはいかない。
あっちをやり直し、こっちの間違いを直し、などを繰り返しているうちに、きれいに束線どころの話ではなくなってしまった。


「第一級品のみが発する「質感」のオーラ」を感じるメーカー品もいいけれど、拙い腕で作った自作モノも、特別な愛着があっていいものですね。
アクリル板を切ったり穴をあけたり、憂鬱になるほどやりました。
実はここで覚えたアクリル加工のノウハウが、「甦れSTAX ELS-8X」の発音ユニットの修理工作に大きく役立っています。
発音ユニットにアクリルは使われていませんが、ここで身についた加工の「技能」がものを言ったわけです。
オーディオを極めるための、プラスチック板と電動工具の「六十の手習い」でしょうか。


(いとし子(4)6BQ5ブースター付き電池管ラジオ おわり)ÿ

甦れ(3回)8X コンデンサースピーカーもう一つの8X電源修復 [甦れSTAX ELS-8X コンデンサースピーカ]


今日の日記は、私の8Xの修復ではなく、もう一つの8X、「かえるの8X」の高圧発生電源部の修理について綴ってみます。
「かえるの8X」を修理してみて、同時期のロット(同じ時期に作られた8X)には、高圧発生電源部のコンデンサーの不具合が発生する恐れがあったのでは、と心配になったからです。
また、8Xとは直接関係のない、わき道にもけっこう深く迷いこみますが、すみません。


おやじの耳はいい?
芸術作品などに向かい合う際の審美感覚。
「鑑賞眼」とはちょっと違う気もするが、「心に沁み込む度合い」のようなもの。
映画、演劇、音楽、文学、絵画・・、といったものを味わう能力のようなものは、年を重ねるに従い、深まるのではないかと思う。
オーディオの音を聴く力も然りである。
聴力はどんどん衰えるのに、「コクや妙味を味わう」能力は向上するように感じられる。

8Xの健康管理
「かえるの息子」が入手したELS-8X(委細は「i氏山荘」第2話)。
自分のアパートに収容するスペースがないので、我が家に置いてある。
その8Xの健康維持のため、ときどき聴いている。
置いてある部屋は防音施工ではないが、家中に響く大音量も出してやる。
GECのKT88が挿してあるAIR TIGHTのATM-2は、太くてずっしりした音が出る。
大編成のオーケストラなど、床の振動が体に伝わって、実に豪快に楽しめる。
8Xから、ALTECの416-8B 38cmウーハー(「いとし子」第3回の写真1)を凌ぐほどの、床が震える低音が出る。
これって、プッシュプル方式独特の音なのだろうか。
今まで経験したP-Pの音は、どうも雰囲気が似ている。


(写真や図はすべて拡大できます)
新8X全景(縮小ト済)DSC_7442.jpg


<写真1:「かえるの8X」は別室に置いてある>
**私の8Xとは比較にならないほどきれい。どのような環境で使われていたのか不思議である。左右合計16個の発音ユニットがすべて健全なのも信じがたい。購入して間もない頃の私の8Xが帰ってきたような錯覚に陥る**




新8Xアンプ類(縮小ト済)DSC_7459.jpg


<写真2:「かえるの8X」を鳴らすために急きょ集めた機器類>
**木の穴から顔を出しているリスだか、モモンガだかの後ろがAIR TIGHT ATM-2**






わき道談 AIR TIGHT ATM-2
余談であるが、このATM-2は、AIR TIGHTブランドのA&M社が創立間もない頃に購入した。
取り扱い説明書らしいものはなく、案内状は手書きであり、回路図も手書きであった。
内部のはんだ付けも下手で、重い本体を送り返すのも面倒なので自分で何箇所も補修した。
そのことを電話で伝えると、社長さんが「職人がまだ熟練してなくて・・」と、えらく恐縮しておられた。
しかしこの器の作りと、基本コンセプトは、とても共感できる。
回路はP-P増幅器の基本中の基本形、教科書どおりであり、妙な細工は一切なし。
あとはシャシー、トランス、各種の電子部品、それらの配置などなど、部品の品質・性能と、全体設計の良否で勝負、である。
私の「最終アンプ」のコンセプトと通じている。
このATM-2は、GECのKT88のゲッターがほとんどなくなるまで愛用し、今のGEC KT88は2代目である。
驚くべきことに、ゲッターがほとんどなくなったGECのKT88のip(プレート電流)は、新品のものと大きな差はなかった。
つまり交換の必要はなかったことになる。

そんな状況のATM-2、面白いことがいっぱいあった。
それらの話は別のタイトルで綴った方がいいとは思うが、楽しい思い出がいっぱいで、筆が止まらない。
初段の12AX7と、位相反転の12AU7、ドライバーの12BH7Aの銘柄やロットの違いで、出てくる音や、音の性質がコロコロ変わる。
NF(ネガティブフィードバック)も外した。
その話をしたら、「そんなことされたら音になりませんがな」とAIR TIGHTの方に言われた(本社は大阪)。
NFを外し、初段の12AX7を12AU7に替え、元のX7周りの定数をU7に合わせて少し変更することにより、明らかに、明確に「音が活きる」。
それによる他の聴感上の問題は特に出ない。
(こんなこと、やってはいけません。もはや時効の昔の話ですし、これは私が所持するATM-2だけに限ったことですから。P-PのNFを外すなど、もってのほかの愚行はおやめください。私、今は元通りにしてますから・・(~_~;) )

ごく初期に作られた私のATM-2。
バイアス・チェックメータのロータリーSWのガリには、ずーと悩まされ続けてはいるが、この器、全体的にはとても信頼できる、すこぶる良品だと思っている。


オリジナル8Xの音
すみません、話を元にもどします。
この8X、すべての発音ユニットが、完璧に良好な状態を保っている。
半数以上がダメになった私の8Xとは雲泥の差であるが、前オーナーはどのような環境で使っておられたのだろう。
本当にありがたいことである。

鳴らしてみる。
はて、こんなによかったのかな、と首をかしげる。
ハッとする。
またハッとする。
100%オリジナルのSTAX ELS-8Xの音が、これほど聴く人の心を、音楽の中に引き込むとは。
私の8Xが健全であった10年ほど前の状況と、今、鳴らしている環境に大きな違いはないはずである。
部屋は違うが、あの頃の私の8Xも、このように鳴っていたのだろうか。
ハッとだらけの、体が緊張するほどの臨場感を聴いていたのだろうか。
あの頃の音を忘れているだけなのか。

私の8Xの製造シリアルナンバーは400番台、かえるの8Xはそれより50番ほど古い。
見た目では、発音ユニットもバッフルも同一であり違いはない。
ただ、裏ぶたの内側に、へんな吸音材がしっかりと貼り付けてあった(それが正規仕様)。
誰かに指摘されてそうしたのか、それとも自分たちが考えたのか、背面放射を少しでも減らそうとしたためと思うが、音響抵抗になるようなものは、百害あって一利なし。
一苦労して完全撤去した。
私の8Xの頃には、吸音材の愚行は「改善」されていて付いていない。
つまり2つの8Xは、まったく同一である。
間違いなく私の8Xからも、同じ音が出ていたはずである。
とすると、当時の私の聴く力が浅かったことになる。
やはり、私が年をとったおかげで、音楽オーディオを味わう力が深くなったせいだろう。
そうに違いない。


「コンデンサースピーカー」の呼称は?
わが国ではこの方式のスピーカーを、一般的に「コンデンサースピーカー」と呼んでいる。
この方式による全帯域スピーカーの製品化は、1957年、英国Quad社の「Quad ESL」が最初である。
優美な曲面を描く「あれ」である。
すばらしい造形、私の「永遠のあこがれ」である。
これらはESL、すなわち「ElectroStatic Loudspeaker」。
「コンデンサー型」ではなく「静電型スピーカー」と呼ばれている。

昔、STAX社の製品に、コンデンサー型カートリッジがあった。
ご年配のターンテーブル愛好家諸兄には、そのカートリッジに特別の思いを持っておられる方も多い。
針先の動きをコンデンサーの容量の変化として取り出し、FM変調、検波の処理を経て、オーディオ信号を作り出す仕掛けである。
エンコーダー/デコーダーを含め、現代の技術で再開発すれば、どのような音が出るのだろうか。
さて、このカートリッジは、「コンデンサー型」と呼ぶに相応しい。
そのものズバリ、「コンデンサーの容量の変化」がキーポイントだからである。

しかしQuad ESLやSTAX ELS-8Xなどのスピーカーは、「静電型スピーカー」と呼ぶ方が実態を表している。
発音の原理にコンデンサー、つまり「蓄電」の有意性はない。
あくまで「静電」によるクーロン力こそが、音を出す源であり、この方式のスピーカーの本質である。
まあ呼び方など、この発音ユニットから飛び散る比類ない音を浴びればどうでもよくなるが・・。


かえるの8Xの高圧発生電源の修理

重要なご注意
STAX ELS-8Xの高圧発生電源部は、4000V近くの電圧が発生します。
感電した場合、人命にかかわります。
発音ユニットに供給される高圧は、高抵抗を介するため電流は微小ですが、感電した場合の電撃(ショック)は大きく、やはり人命にかかわります。
高圧発生電源部は、その供給元であるため、感電した場合はかなりの電流が流れると思われます。
それには生命の危険があります。
この高圧発生電源部を修理・修復・稼動させるには、4~5000Vの高電圧と、その取り扱いに関する知識と経験が必要です。
この点のご配慮を、くれぐれもよろしくお願いいたします。

なおこの日記の、修理についての記述は、あくまで「かえるの8X」単体に関するものであり、他の8Xが同一の作りや仕様であるか否かは分かりません。
また、ここの記述や写真や図も、修理の「参考の一つ」や「ヒントの一つ」にしていただくためのものです。
修理に際しては、あくまで、それぞれの修理対象の現物を実地に調査・解明して、その上で適切な対応を検討されるようお願いいたします。


訳あり
承知の上であったが、かえるの8Xは、右側完動、左側音圧低下、の「訳あり」として彼が手に入れた。
訳あり側の発音ユニット各部の電圧を測ると、すべての発音ユニットの成極電圧(バイアス電圧)が、正規の1/3以下であることが分かった。
このことから、不具合箇所は高圧発生電源部だろう、と推測できる。
左右の高圧発生電源部のボックスを引き出し、裏ぶたを外すと、意外なことが分かった。
完動している右側の高圧発生電源部に、メーカーで(多分)修理を受けた形跡がある。
充填されている蝋に、手を加えた跡があり、コンデンサーが取り替えられている。
左側とはメーカーが異なるものに交換されていた。
要するに、右側にもコンデンサーのトラブルがあったことになる。
左側の高圧発生電源部は、工場出荷時のままであることは見れば分かる。
つまり、このシリアル番号の近辺のものは、高圧発生電源部の、たぶんコンデンサーが「弱い」ことが推測できる。
不具合の左側の高圧発生電源部も、右側と同様に、いずれかのコンデンサーがダメになっているのだろう。
整流用ダイオードは蝋漬けになっていないので、テスターで良否をチェックした。
すべて健全であった。


高圧発生電源部修理前(縮小ト済)DSC_6875.jpg

<写真3:修理を受ける前の高圧発生電源部>
**電源トランスと4つのコンデンサーが入っている小部屋は、蝋で充填されている**



高圧発生電源部ダイオード側(縮小ト済)DSC_6866.jpg


<写真4:蝋の小部屋の壁裏のダイオード類>
**写真上部に蝋の小部屋とコンデンサーが見える。見えているコンデンサーの下にも、さらに3つのコンデンサーが埋められているとして、このダイオード類の配置などを、よーく観察していると、回路図が見えてくるようになる、かな**






高圧発生電源部の回路推測
充填されている蝋の中に、電源トランスとコンデンサーが複数個、漬けられているとする。
その上で、写真4:のダイオードなどの結線状況から推理して、4段のコッククロフト・ウォルトン回路と仮定した。
かえるの息子が予想回路図を描いてみた。
多分正解だろう。
使われていたコンデンサーは、チューブラー型(リード型)の0.01μF、耐圧3000Vが4個。
ここでは手持ちの都合で、0.047μF、耐圧2000Vのものを使った(耐圧は3000Vが安心)。


高圧発生電源部回路図(縮小ト済).jpg


<写真5:高圧発生電源部の整流&昇圧回路の推測回路図>
**雑な絵ですみません。かえるの彼が、その場にあった紙に描いたスケッチ。4段のコッククロフト・ウォルトン回路と推定された。赤字の電圧が修理後の数値。ただし成極電圧調整VRが最小のときの電圧であり、VR最大時は、これの約140%に上昇する。通常はVR最大で使う>





大量の蝋を取り除く
缶ビールを輪切りにして蝋の容器を作る。
ドライヤーで充填されている蝋を熱し、柔らかくして小さなスプーン状のものでかき出す。
その前に、ダイオードを熱風から守るために、何らかの工夫をしておく必要がある。
熱してはかき出し、また熱してはかき出す。
いやというほど繰り返す。
この作業はコンデンサーの周りだけでよい。
トランス周りはそのままでかまわない。

コンデンサーの交換
底につくまで蝋をかき出すと、4つのコンデンサーが現れる。
それを全点、交換する。
狭い空間の中、順にコンデンサーを取り外して、新しいものを順に取り付ける。
かなりアクロバット的な技が要求される。
この作業、よほど器用な方でないと難しいかもしれない。

交換が終わった段階で十分な目視チェックをして、誤りなしを確認する。

高圧電源コンデンサー交換(縮小ト済)DSC_6887.jpg
<写真6:コンデンサーの周りの蝋を取り除き、全部のコンデンサーを交換する>
**手持ちの0.047μF、耐圧2000Vのコンデンサーの寸法は少し大きすぎた。最上部のコンデンサーは裏ぶたに接触する恐れがあるため、絶縁チューブを被せた**



電源を投入して動作試験
発音ユニットへの接続はつながったままであり、外さないでおく。
各部、要所要所の電圧をチェックする。
かえるの8Xの修理後の場合、発音ユニットの成極電圧端子(高域)1.9KV、全域および低域3.7KVであった。
いずれも高圧発生電源部の成極電圧調整VR最大時。

この状態で音を出してみたり、電源のON/OFFを繰り返したり、電圧可変VRを回したりして実働試験を行い、確信が得られれば再び蝋で充填する。

再び蝋で充填
缶ビールの蝋を電熱器などで温める。
蝋って、断熱材のように熱が伝わりにくく、なかなか融けてくれない。
アルミホイルで覆うなどの工夫をして、完全に融けたら(融けると透明になる)、空気を排除しながら完全に充填されるように、少しずつ慎重に注入していく。
完了したら、十分に冷えるまで待って実働試験を行い、問題がなければ元通り本体に収め、めでたく修理完了となる。

高圧電源蝋充填(縮小ト済)DSC_6890.jpg

<写真7:ひととおりの動作確認後、「小部屋」を融かした蝋で再び充填する>
**蝋が茶色の部分は、まだ冷えていない半透明の状態。冷えるとクリーム色になる**





かえるの息子が帰ってきたときは、夜通し8Xを聴いている。
8Xの前のソファーで横になって朝まで聴いている、たぶん寝ている。
自分のアパートにも「けっこうそこそこ」のシステムがあるが、音の出方が根本的に違って聞こえるらしい。
この違い、おおまかには、一般的なヘッドフォンやイヤフォンと、STAXのイヤースピーカーとの違い、と思っていただければ近いと思います。

オリジナル8Xの音。
昔は気付かなかった深い味わい。
8X本来の素晴らしさを、「もう一つの8X」が教え示してくれた。
この歳になってようやく気付く、なさけない感性である。

(甦れ8X(第3話)もう一つの8X電源修復 おわり)￿

最終アンプ(第3話)211の選択 [原器を目指した「最終アンプ」]



1920年代の初頭、真空管211の原型が作られた。
3極管が実用され始めた頃、真空管の回路技術もなく、部品も乏しく、その品質も低い。
そういう時代であった。
よい性能の増幅器を得るには、真空管そのものの性能に頼るしかない。
ただひたすら、三極管それ自身の性能を突き詰めて211は誕生した。
直線性は比類なし。
その後に生まれた様々な球を含めて無敵である。
真空管の時代が終焉を迎えるまで、綿々と製造され続けた211

「余計な策はいっさい弄せず、真空管そのものの性能に頼る」。
「最終アンプ」の理念に謳ったような真空管が実在した。
211
本当に奇跡のような球である。

(写真はすべて拡大できます)
4242A全景(縮小ト済)DSC_2344.jpg






<写真1、2:動作中の出力管211(相当管のSTC4242A)と、プレート内部の鏡面反射の輝き>
**4242A(STC後期タイプ)。金属板プレートの外側表面はガス吸着用のジルコニュウムが塗布され、内側は鏡のように磨かれている。フィラメントの輝きが鏡に反射して眩しく美しい。211相当管のなかでもっとも美しいと思う。(注)STCの4242Aは本機の動作電流60mA程度でも、プレートが僅かに赤くなる。定格近くでは赤熱するが心配無用。ジルコニュウムは高温でガスを吸着するらしく、赤熱するように作られている**

4242A内部の輝(縮小ト済)DSC_7419.jpg















「高能率SPだから1Wで十分」?
人の耳の感度は非常に悪い。
野生動物であれば致命的といえるほど低感度である。
犬や猫、ハムスターや小鳥たちと暮らした経験からそう思う。
そのため、再生音の音質を聞き分けるには、ある程度以上の音量が必要なのではないか。
また同時にスピーカーもその形式を問わず、ある程度の音量以上で音質的に良好な動作領域に入るのではないかと思う。
だからスピーカーを駆動するパワーアンプの出力は、ある程度大きい方がいい。
ビンテージ物の高能率スピーカーだから1Wで十分、などの話をよく聞くが、そう単純な筋書きにはならないのではないだろうか。
汲めども尽きぬ音楽の泉、その音色の機微を、人の耳が満足に感じ取るには、ある程度の音量が必要である。
また、音質的に良好な音を再生するにも、ある程度の余裕あるパワーが必要である。
つまりパワーアンプの出力は、高能率スピーカーであっても、製作条件が許すかぎり大きい方がいい。

「最終アンプ」の理念から、出力段の増幅形式は「A級シングル」となる。
「A級シングル」と「ハイパワー」。
この条件からも、出力管は211/VT-4Cとなる。

211は時代の賜物
211の性能と特性は特筆すべきものである。
1912年に3極管の増幅作用が発見されて以来100年の真空管史上、211の直線性のよさと総合的な素性のよさを超えるものは他にはない。
211を超えるものを作ろうと挑戦し、これを超えられなかったのではないだろう。
211以降の真空管設計の主眼が、直線性などとは別の方向に向いたためである。
その211が、真空管開発史のほんの初期、1920年代の初めに作られたことに驚く。
おそらくそういった時代であったからこそ、生み出された球である。
つまり後世の近代管のように、4極管、5極管、ビーム管・・といった構造上の様々な工夫を凝らすことなく、3極管の素朴な構造だけを相手に、当時の最高の技術者たちが徹底的に性能を追及した末の傑作なのであろう。

出力段の回路は、シングルのA級増幅が最も簡潔で好ましい。
その上で、大出力時のピークに突入するA2級領域(グリッドバイアスがプラスになる領域)の対応がうまくできることが、パイパワーを得るためにも、音質上からも必須である。

「最終アンプ」の選択 211 vs 845
姿・形が211と同一で、211よりも内部抵抗(rp)が低く、オーディオ増幅専用とされている845という出力管がある。


RCA211_845(縮小)DSC_7401.jpg
<写真3:出力管RCA845とRCAVT-4C
**211ガラス管上の「U.S.A VT-4C」の文字は、プリントではなくエッチング(ガラスの表面を、すりガラス状にしたもの)であり、アルコールで拭いても消えない。また金属ベースのRCAのロゴ等も、アルミの表面を腐食加工したもので、これも消えない。845はRCAのロゴの形から、多分60年代製造のものではないか**


RCA211製造日付(縮小)DSC_7409.jpg


<写真4:RCAVT-4Cの金属ベースに印された製造日>
**70年前のものが完璧に動作する。長期使用もトラブルなし。恐るべき製造技術と品質管理**





さて845
私には845を使いこなせないし、名声の割にはさほど興味が湧かない。
設計が安直すぎる気がする。
RCAVT-4CとRCA845のグリッドのクローズアップ写真(写真5)を比較すれば一目了然であるが、845211のグリッドのピッチ(間隔)を広げた(つまりrpとμを下げた)だけのように思える。
211の派生管と言われてもしょうがない作りである。
グリッドの目を粗くすることにより、内部抵抗は1/4以下、増幅率は半分以下に下がり、その代わりに最大出力が2倍ほどになった。

私はVT-4Cの目の詰んだグリッド(つまりrpが高い)に構造的な美しさを感じるが、この美しさ(rpが高い)がいい音を出す要因ではないかと思っている。
rpが少々高くても、適合する出力トランスを作れば問題はないだろう。
845の性能をフルに使って、211の2倍ほどの最大出力を得る利点よりも、非常に深いバイアスを供給できるドライブ回路を実現することに、より大きな問題が生じると考えている。
そこをクリアしたとしても、出てくる音響が211より好ましいとは限らない。
211のパワー不足は、A2領域の良好な動作で補えるだろう。
拡声器用の大出力増幅器や、昔の映画館用の増幅器であればいいのかもしれないが、私の「最終アンプ」に845はやはり適さないと思う。

RCAグリッドアップ(縮小ト済)DSC_7393.jpg
<写真5:RCAVT-4C211の米軍呼称)(左)と、RCA845(右)のグリッドの比較>
**845は、211/VT-4Cのグリッドのピッチとくらべ、ずいぶん間隔が広い。211のグリッドピッチを変更しただけで、その他の構造は同じであることが分かる**



AMPEREXグリッドアップ(縮小)DSC_7377.jpg


<写真6:AMPEREXの211(奥)と同845(手前)のグリッドの比較>







211のジャンボ版4212E
STCの4212Eという、STC4242A211同等管)の最大規格を、をそっくりそのまま2~3倍に大きくした巨大な送信管がある。
以前、この球を輸入した業者の方から、どうか、と勧められたことがある。
高価であったが、球の価値からは安いと思った。
4本ほど入手しておけば、一生安心して楽しめる。
WE212の欧州版であるSTCの4212Eは、見るだけでも魅力的な容姿の、美しい真空管である。
激しく迷った。
が、所詮、私には手が届かない球である。

手を出せなかった理由は、STC4212E本来の性能をフルに発揮させ、音響的ハイエンドを突き詰める場合、アマチュアの道楽程度のアプローチでは製作不可能であることが分かっていたからである。
会社の業務レベルで相当な投資の下、各分野の専門家を交えて取り組まなければ、STC4212E級の球を使いこなすことはできない。
当然といえば当然の話しであるが、このクラスの球は、元来、それくらいの装置で使うものである。
最大プレート電圧3000V、最大プレート電流350mA、プレート損失275W。
オーディオアンプのA級シングルに使うには、これ以上のものは望めないほど魅力的な規格である。

しかしいくつかの、あまりにも大きな問題がある。
4212Eを出力管とし、「原器」を目指して問題を一つ一つ、それぞれに満足な解答を出していくと、その結果、全体の構成はとんでもない物量になり、木造家屋には搬入できないほどになる。

まずプレート電圧
4212Eを1000V~1500V程度の低電圧で使う場合、211を400V~500V程度の低電圧で動作させたときと同じ問題――つまり、211が本来秘めている音質のレベルに達しないのと同じことが起こるのではないか、との予測がある。
この音の違いは、出力の大きさや音量の違いを言っているのではない。
出力の大小とは別次元の音響的な違いがある、という意味である。
一般的にオーディオ用の出力管は(つまり音響を重視する増幅器の球は)、定格の上限付近で使用しなければ、それぞれの出力管本来のよい音は得られない。
このことは、昔から多くの先達の指摘するところである。
これらのことから、よりよい音を求めて、あえて4212Eを採用するからには、プレート電圧は少なくても2500V程度はかけたいと思う。
電源は、本機で採用した水銀蒸気整流管872Aを使えば、電圧も電流も余裕は十二分である。
さてここまでは、高圧を扱うノウハウがあれば製作可能である。  

出力トランス
しかし、さらに大きな問題が出力トランスにある。
出力管が211である本機の場合、Ipはわずか60mAしか流れていない。
それでも出力トランスは直流150mAを許容し、出力30Wで20Hzあたりまでほぼフラットな仕様で作られている。
市販品の商品カタログ(40Hzを基準としたカタログの場合)に載せるとすれば、4倍の「120W出力(基準の周波数が1/2になれば出力は4倍必要になる)、直流許容150mA超のシングル用トランス」と表示されるだろう。
4212Eの場合、プレート電圧2500Vで、Ipを200mA流すとしよう。
許容直流電流をその2倍の400mAに取り、出力60W程度を20Hzあたりまでほぼフラットな仕様で作らせた場合、どのような大きさと重さになるか、恐ろしくて計算もできない。
先の要領の商品カタログには、「シングル用、出力240W、直流許容400mA超、耐圧連続3000V」と載るだろう。
オーディオトランスの常識から考えると製作はほとんど不可能に近い。
それでも道端に立って、電柱の柱上トランスを見上げれば、その程度のものは子供だましのように思えたりもする。
結論として、4212E本来の音質を引き出すためには、左右両チャンネル分を、高さ2mほどの電子機器用標準ラック1・2本に収められるかどうか、というほどの物量になるだろう。
完全に工業機器の体裁となるが、鉄筋コンクリートの家屋と、鬼のような仕様の出力トランスを巻ける職人さんがいれば、「最終アンプの理念」になんとか近づけた4212Eシングルアンプは作れないこともない。
夢のような話であるが、ぜひともその音を聞きたいと思う。
今まで誰も聞いたことのない、まさに空前絶後の音響が飛び出すかもしれない。
本機に挿して、私がもっとも好ましい音と感じているSTCの新タイプ4242A
その構造や定格をそっくり相似形で2・3倍に大きくしたものがSTCの4212Eである。
間違いはないだろう。

211のおかげさま
壮大な夢の4212E
使いこなすには「余計なこと」をしなければならない845
幸いにも1990年代には、米国製(たまには欧州の)211/VT-4Cやその同等管が、わりあいポピュラーに出回っていた。
私の手元にも、メーカー別の何種類かがあるが、本機に差して鳴らしてみると、どれもなかなかいい感じである。
もし211のような特性・素性の球が存在しなかったら、本機「簡素の極み」の増幅部は実現できなかったと思う。

真空管が実用され始めた初期の時代の球211
本機は結局、この古い古い古典管に「全面的に頼った」増幅器である。
私は、それ以外に頼ることができる球を知らなかった。
「最終アンプ」のつもりの本機が「うまくいった」のは、それが幸いしたのだと思う。

211
これは私にとって、音楽の泉のような真空管である。

(「最終アンプ」第3話 211の選択 おわり)

エッセイ(2)エルビンの天性が骨を叩くと [オーディオエッセイ]

人の耳は致命的低感度
オーディオ装置で音楽を聴く。
ただ一人、好きな曲を、十分な音量の、よい音で聴く気持ちのよさ。
この嬉しさは、なにか美味しいものをたくさん食べたときの感覚に少し似ている。
「音楽」と「食」とは、基本的な生理現象の何かが繋がっているのではないだろうか。
人はなぜ音楽を聴きたいのか。
人と音楽との結びつきが、古今東西、社会や文化の違いを越えて普遍的なのはなぜなのか。
人の聴力は、感度が犬猫鳥などに比べて比較にならないほど低い。
何代にもわたって人に飼い馴らされたハムスターでさえ恐るべき感度を持っている。
人の耳は野生の動物であれば致命的な低感度である。
その反面、「音楽」を聞くと気持ちに大きな変化が表れる生理的副作用のようなものがある。

OUTBACK4トラテープ(縮小)DSC_7352.jpg


<JOE FARRELL OUTBACKの4トラック・テープ>
**ELVIN JONES、CHICK COREA、BUSTER WILLIAMS、AIRTO MOREIRA**





エルビン・ジョーンズのご先祖
先史の昔、そのある日、原始人がたまたま白く乾いた動物の太い骨を拾って木の枝で叩いたとしよう。
カンカンと妙に心地よい音がする。
その男がエルビン・ジョーンズの1000代ほど前のご先祖だったらどうしただろう。
叩く力の強弱、叩く場所、叩くタイミングなどをあれこれやって遊んでいる。
そうこうしているうちに、気持ちが高揚したり沈んだりするような、今まで経験したことがない面白さがあることに気付くに違いない。
乾いた骨を拾った男は、並みの者ではない天性のリズム感と音楽性を持っていた。
彼が叩くとその「不思議な音」に惹かれた仲間が集まってくる。
男も女も、大人も子供も騒ぎ出す。
囃し立てる。
踊りだす。
人類の遠い祖先は、このように音楽を獲得していったのではなかったか。
坂田明のご先祖は葦の茎を吹き鳴らし、薩摩琵琶の中村鶴城のご先祖は狩猟の弓の弦をベンベンやっていたかもしれない。
千人に一人でもいい。
天性のリズム感と音楽性を具えた者が音を出せば、そこに音楽が生まれる。
それに興味をもった者が、見よう見まねで同じことをやりだす。
人は音楽を楽しむ能力を、遥か先史時代から持っていたに違いない。
そう思う。

言語
原始的な段階であれ、言語と呼べるものが存在したとしよう。
言語を獲得した人は相当に微妙な音声の響きの違いを聞き分けていたことになる。
私はオーディオ装置の試聴に、まずはボーカルものを使う。
人の声が、微妙な部分を聞き分けるための、もっとも高感度の試料になると思うからである。
逆にいえば、言語の獲得は、微妙な音声の響きの違いを聞き分ける能力がなければできないことになる。
このことから「音楽」は、遅くとも原始言語の始まりとともに存在したと推測したい

もう一つの要素である「和声」。
和声(ハーモニー)は、砂漠の民が発見したと、昔、老先生から教わったことがある。
ハーモニーをつけると、砂上遠くまでよく到達することを経験から知り、それが音楽に取り入れられていったという。

オーディオの基本は「音」
やはりオーディオの基本は、「音」そのものの再生にあるように思う。
「音楽性」を云々するのは当然であるが、まず、あらゆる音が、それらしい「音」で再生できなければ、音響のあらゆる要素を含む音楽など、再現できるわけはない。

在りし日の高城重躬先生が、蟋蟀(こおろぎ)の音(ね)を録音し、それを再生しながらご自身のシステムを追及されたという話を思い出す。
それが音楽再生へのアプローチの近道であり関門なのでしょう。
そう思います。

(エッセイ(2)「エルビンの天性が骨を叩くと」おわり)

エッセイ(1)我ら音楽再生リプロデューサー [オーディオエッセイ]

リプロ
蓄音機のサウンドボックス。
レコードの溝を針でこすって音を拾う部分。
これ、エジソンが発明した円筒型蓄音機の時代から「リプロデューサー」と呼ばれている。
「音を再び甦らせるもの」。
リプロデューサー。
これだけで、小さな我が家に響き渡るほど大きな音が出る。
エレキの力を使わない「100%純粋、ダイレクト再生ピックアップ」である。

リプロ(縮小)DSC_7320.jpg
<リプロデューサー(サウンドボックス)>
**His Master’s Voiceのニッパー君(フォックステリアの雄らしい)の商標でお馴染みのVICTOR TALKING MACHINES社製リプロデューサ(サウンドボックス)。振動板はマイカ(雲母)。この写真では竹針が付けてある。針には「鉄針」、「ソーン針」(サボテンの棘などで作ったもの)など、他にもいろいろな素材のものがある。このリプロデューサ、歳はたぶん90歳前後だと思われる**


音の缶詰
音楽の場。
その場の空気振動を「箱」に閉じ込め大量に複製し、人々に販(ひさ)ぐビジネスあり。
レコード会社、レコードショップ、ダウンロードサイト。

「箱」すなわち録音メディアの形態には、絶滅種、絶滅危惧種を含めて、SPレコード、LPレコード、カセットテープ、8トラックカートリッジ、4トラックオープンリールなどのアナログ族。
CD、MD、DAT、HD、DL(ダウンロード)などのデジタル族がある。
「箱」を開けて音を開放すると、元の音楽演奏の場が再現される。
箱を開けて、ただ音を出すだけなら簡単。
しかし臨場感に満ち、躍動感に溢れ、そこで演(や)ってる感にハッとし、知らずのうちに音楽に引き込まれてしまうような場を再現するのは容易ではない。

レコード(記録メディア全体の総称)から、生々しい音楽の再現を追求する道楽者が、「音楽好きオーディオファイル」だと思う。
昨今は、音楽、劇・映画・放送・出版などの制作者、統括責任者を「プロデューサー」と称している。
名刺の肩書きになるように、もう少し格好をつければ、その統括責任者、つまりレコードから、音楽の「活きた音」を再生するための「プロデューサ」といえるだろう。
ちょっとややこしいが、「理想的なリプロデューサ」の実現を目指す「プロデューサ」。
私もその端くれの一人だろうか。

オーディオとは?
さてオーディオファイル諸兄の書棚には、様々な形の「箱」がコレクションされていると思われる。
ご年配の方ならCDよりもLPレコードがたくさん納まっているかもしれない。
オープンリール・デッキをお持ちで、いまも4トラックテープが大事に保管されているなど、うれしい光景である。
昨今、カセットテープやMD、DATテープなどが絶滅危惧種になる一方、メインライブラリはパソコンのハードディスクの中、という方も多いだろう。

音楽の場の空気振動をどのような形の箱に閉じ込めるか、その形態は技術の進化とともに移り変わってきた。
「箱」はすなわち「媒体(メディア)」である。
そのメディアに記録された音を空間に開放することが音楽再生である。
それを実現し楽しむ行為が「オーディオ」というものだろう。
そのための機械仕掛けが「オーディオ装置」に他ならない。

「箱」のフォーマットを定めるに当たっては、それぞれの時代の最高の智恵が集結されたはずである。
そのいずれの「箱」も、それぞれの時代相応に、かなりの真迫度で音楽の場の空気振動が収容されていると思う。

100年前100年後
エジソンの円筒型蓄音機や、ベルリーナの円盤型蓄音機が実用されて、すでに百数十年が経っている。
現代のリプロデューサ、つまり現代のオーディオ装置を手にしている私が、遠い過去のマイカ振動板のリプロデューサを見て感慨にひたる、とする。
今から100年後。
遥か未来のオーディオファイルの誰かが、私のオーディオ装置を見たとする。
彼はどう思うだろうか。
今から100年前と100年後。
音楽を録音・再生する仕掛けの「進歩の歩幅」は果たしてどうなるか。

私の予想ですか。
そうですねー。
私の感覚では、録音・再生の手段には、かなりの進化があると思いますが、出てくる音響には「時代を画する」ほどの飛躍はないのでは、と、ちょっと悲観してます。
どうなんでしょう?

いとし子(第3回)トリオ6BQ5シングルアンプ [オーディオのいとし子たち]

■トリオW-10トライアンプ
これ、私のとびきりの「いとし子」です。
私の「アンプ」や「チュナー」の原点。
これには強いノスタルジーと、特別の想いがあります。

これは1961年発売のトリオW-10「ステレオ・トライアンプ」。
トリオは現在のKenwoodの前身であり、「トライアンプ」とは、「AM/短波」と「FM」のチュナー、それに「ステレオアンプ」を一体にしたもので、このネーミングはトリオの発案と言われている。
オール真空管式であり、半世紀50年を経ているが、コンデンサーの全点を交換しただけで、現在も健全に働いている(消耗品である真空管は別)。


(写真はすべて拡大できます)
W-10_M19の上DSC_7286(縮小ト済).jpg


<写真1:トリオW-10 ステレオ・トライアンプ>
**アンプ部は、6BA6 ⇒ CR結合 ⇒ 6BQ5EL84)シングル。6BA66BQ5とも5極管の一般・普通の使い方をしている。フォノイコライザーは搭載されていない。チュナーのAM/短波部とFM部は、ともに分離独立しており、FMはモノラルである**




美しく青きドナウ
スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の冒頭部、猿人が空に投げた骨が、カット切替えで宇宙船に変わるシーンがある。
道具(骨)を手に入れた猿人が、そこを出発点として何百万年後に宇宙に進出したことを象徴する名シーンである。
私のオーディオ史において、初めて手にした増幅器W-10
たぶん1962年であったと思う。
そしてそれは30年をかけて「最終アンプ」に変わった(当ブログの別カテゴリー「原器を目指した最終アンプ」に登場する)。
何百万年と比べれば、30年など「変化なし」に等しい(「最終アンプ」は1992年生まれ)。
事実そのとおりであり、W-10の音を聞くと、「最終アンプ」も、また、スピーカーなどのオーディオの主要コンポーネントも、「本当に進化しているのか」と問わねばならない。
W-10と「最終アンプ」、出てくる音響は、もちろん比較にならない。
しかし家内に聴かせれば、「これ1台あればいいじゃないの」(W-10が)。
つまり非常に客観的に突き放せば、両者に大した違いはない、と言わざるを得ない。
おおかたの人には、その程度の違いなのだ。

W-10外観DSC_7299(縮小).jpg

<写真2:こういった感じがあの時代のトリオの共通したデザイン>
**左側がFM、右側がAMのダイアル文字板。現在はFMが選択されているので、左側の文字板の照明が点いている。芸が細かい**>




AMラジオの音がとてもいい
(「あの時代の、ああいった作りの」、が前提であるが)W-10の音はとてもいい。
私も円通寺坂工房も、「最終アンプ」には相当な情熱を注いだ。
可能なかぎりの物量を投入した。
ところがどうだ。
W-10に使われている部品は、現在の品質や性能と比べれば、どれも並品以下ではないか。
出力トランスなど、幼児のげんこつのように小さい。
真空管のソケットも、ペラペラのベーク板に穴が開いているだけである(しかし今までに接触不良になった記憶がない)。
回路図を見ると、トーンコントロールやら、左右のバランス調整やらのCやRやボリュームなどが、ゴテゴテと付いていたりする。
そのW-10の音が、とてもいい気持ちにしてくれる。

ちなみにW-10のきれいに清書された回路図を「ラジオ工房」さんのHPで見ることができる。
[ラジオ工房]ホーム→[資料室(真空管ラジオの広告 価格、TR BCLラジオのカタログなど) ]→[2 技術資料]→このどこかにW-10の回路図あり。

W-10マジックアイアップDSC_4704(縮小).jpg
<写真3:マジックアイ6E5の緑の発色と目玉の存在感がたまらなくいい>
**チューニングダイアルを回して、目的の放送局に同調すると、マジックアイの扇形の陰が閉じる方向に狭くなる。これを見ながらダイアルを同調点の中心にピタリと合わせることができる。マジックアイの蛍光物質の発光寿命は定格使用では大変短い。私はターゲット電圧を180V前後に下げて長寿命化を図った**


「いい気持ち」の続きであるが、まずAM放送の音がすばらしい。
W-10で聴くAMラジオの音は本当にいい音である。
1962年、私は高校生であり、静岡県の田舎町で毎晩、ラジオ関西の電話リクエストを聴いていた。
ラジ関の送信アンテナは、日本列島の向きに指向性をもたせてあるので、遠くでも受信できる、という話があったが本当だろうか。
ダイアル目盛りの左端いっぱいぐらいの低い周波数であった。
当時のラジ関の「電リク」は、この手のリクエスト番組の草分けであり、「明石の鈴木さんから、加古川の佐藤さんと須磨の亜紀ちゃんへ・・」といったように、曲をプレゼントする形式になっていた。
後年、オールディーズの黄金時代と呼ばれるようになった60年代、米欧の名曲が大量に生まれた特異な時代のポピュラー音楽をW-10で聴いた。
(今現在も、PCに収めたMyライブラリーをしょっちゅう聴いている)
この頃から、AMラジオはW-10で聴くのが最高と思っていたが、今もそう思う。
FM放送はモノラルであるが、とてもリラックスできる音であり、これもたいへんいい。
トリオという会社は、元々がAMや短波ラジオ用の高品質のアンテナコイルやIFT類のメーカーであった。
AMやFMチュナーは得意中の得意である。
受信感度、IFTの帯域幅(選択度)、音質といった、それぞれ相反する要素のさじ加減を熟知していたに違いない。
W-10は、トリオが総合オーディオメーカーへと成長していこうとする時代の初期の製品であることから推して、当時の最高のスタッフが心血を注いだ傑作機なのかもしれない。

W-10中身DSC_7315(縮小).jpg
<写真4:W-10のシャシー上の部品配置>
**ベークライトのボビンに綺麗に巻かれたアンテナコイル、バリコン、アルミ色に輝くIFT、その間に挟まれたMTタイプの真空管。オーディオ少年憧れの出力管6BQ5は後ろの出力トランスに挟まれている。電源トランスの右は整流管6CA4。シャシーもトランス類もサビサビですが、いいですねー。ちなみにトリオのアンテナコイルやIFTは、オークションでもプレミアがついて高値らしい**


トリオはこの後、数機種の真空管式AM/FMチューナー付きアンプを出しつつ、1962年には日本初のオールトランジスタ・アンプTW-30を発売する。
そして1964年にTW-80、1966年にはパワー段をメサ型シリコントランジスタに置き換えたTW-80Aを出す。
そして業界は、従来の真空管アンプに迫る半導体アンプ時代に突入していった。
当ブログの別テーマ「甦れSTAX ELS-8X」の第2話の写真1:に写っているアンプは、私のW-10の後継機となったTW-80Aである。

音響的ハイエンドを可能なかぎり追求した「最終アンプ」と、日本のオーディオ産業黎明期の力作。
どちらも、それぞれ相応のいい音がする。

私の耳に刷り込まれている「いとし子」W-10の音、赤い夕日が校舎を染めた時代の音である。
私はこの音が好きだ。

(いとし子 第3回 「トリオ6BQ5シングルアンプ」 おわり)

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